来姓古墳群 

 

(らいじょうこふんぐん)

【考古】

伊保川最上流部の瀬戸市に近い保見地区八草町の丘陵尾根上に築かれた9基からなる古墳群。7~9号墳の3基は現存。昭和40(1965)年、愛知工業大学移転に伴う造成工事を止めて、急遽、猿投町誌編集委員の大橋勤らによる発掘調査が行われた。1・2・4号墳は径15m近い円墳、他の6基は6~7mの小円墳とみられ、内部構造も5・6・9号墳は竪穴系横口式石室の流れを汲む無袖形石室、その他は玄室が胴張り形をした凝似両袖形石室とみられている。出土遺物の大半は杯などの須恵器で、1・5号墳から耳環や刀子、8号墳からは切子玉やガラス製小玉・耳環が出土している。古墳群は、伊保川とその支流の狭い谷筋に依拠した集団の墓とみられ、6世紀中葉に5・8・9号墳、7世紀前~中葉に6・7号墳、中~後葉に1~4号墳が築かれたと考えられる。

『新修豊田市史』関係箇所:1巻415・419・441・446ページ、19巻408ページ