(らいじょうこようぐん)
【考古】
市域北西部の瀬戸市との市境に位置する古代~中世の12基からなる窯跡群で、猿投窯の一角にあたる保見地区の八草町に所在している。昭和40(1965)年に愛知工業大学敷地造成工事に伴う事前調査として1~5号窯および7号窯の灰原の発掘調査が行われた。発掘調査の結果および表面採集遺物から、1・2号窯は灰釉陶器窯で東山72号窯式期(10世紀後半)、3・4・7・12号窯は灰釉陶器最終末の百代寺式期(11世紀前半)、5・6・8~11号窯は山茶碗窯で第7・8型式期(13世紀中葉~14世紀前葉)に位置付けられる窯であることが判明した。1・2号窯では、灰釉陶器とともにごく少量の緑釉陶器が焼成されている。
『新修豊田市史』関係箇所:2巻156ページ、20巻124ページ
→ 緑釉陶器