緑釉陶器

 

(りょくゆうとうき)

【考古】

鉛や銅を主原料とする釉薬が施された施釉陶器。9世紀初頭に平安京近郊で生産が開始され、その直後から11世紀代にかけて近江国や周防国、長門国とともに尾張国の猿投窯などで生産された。市域では10世紀後半に保見地区の来姓古窯跡群(1・2号窯)で生産が行われている(写真)。製品は仏具用の瓶類や火舎などで、猿投窯では椀や皿の内面に刻線で花弁などを表現した陰刻花文もみられる。主な供給先は官衙や寺院などであるが、市域の梅坪遺跡や郷上遺跡などの古代集落跡からも数点ずつ出土しており、上位階層にも流通していたと考えられる。また素地段階の椀や皿が完成品として流通することもみられ、寺部遺跡では陰刻花文のある緑釉素地椀が出土している。


『新修豊田市史』関係箇所:2巻139・156ページ、20巻322ページ

→ 寺部遺跡来姓古窯群