隣松寺冑三尊像

 

(りんしょうじかぶとさんぞん)

【美術・工芸】

隣松寺(幸町)所蔵。中尊 像高3.5cm、厨子 高さ5.5cm、外厨子 高さ59.5cm。徳川家康が家に伝来した護り仏を冑の内部に忍ばせて戦場に出陣したと伝えられる厨子入り三尊像で、市指定文化財。三河一向一揆が終了した永禄7(1564)年に、勝利祈願の成就の礼として、家康が隣松寺の鎮守である観音堂に奉納したと伝えられる。厨子は金銅板を筒状にし、上下を被せ蓋で閉じ、全体に鍍金を施している。筒の扉は観音開きにし、その中に三尊像を納めている。三尊像は各像とも台座を含めて一鋳で、皿状の金銅盤に接着されている。三尊像を納めた厨子はさらに木製の宝塔形の厨子に納められている。宝塔形をした厨子に納められている。宝塔の形態は、上層に宝珠と、六角形とした屋根、宝塔を載せる蓮華座で、厨子全体を金箔貼りで飾り、蓮華座の下框座の最下段のみ朱漆を塗っている。内部には群青色の岩絵具で葵紋を盛り上げて描いている。三尊像は、寺伝では阿弥陀如来と八幡大菩薩、勢至菩薩だが、造形は粗く、やや不明瞭で判別は難しい。中尊は蓮華座に立つ如来形で、右手の第一、二指を合わせるようにみえることから阿弥陀如来と考えられる。脇侍は岩座に立つ天部形(俗形)と蓮華座に立つ菩薩形で、江戸時代に摺られた「東照宮御開運御兜立物三尊」によれば、八幡大菩薩と勢至菩薩とみられる(現状では左右逆配置)。しかし、菩薩形は両手を勢至菩薩に通有の合掌ではなく、両手に何かを捧げ持つようにもみえ、これが蓮台だとすれば観音菩薩となる。寺の由緒書に「弥陀 八幡 観音之三尊」とあり、文化10(1813)年再版の縁起には「観音像」とあり、菩薩形の像名は決定しがたい。天部形については先の由緒書にも「八幡」とあることから、これを認めるべきか。本三尊像は隣松寺の徳川宗家との特別な関係を示す遺品として貴重である。


『新修豊田市史』関係箇所:21巻402ページ