隣松寺徳川氏朱印状

 

(りんしょうじとくがわししゅいんじょう)

【近世】

隣松寺が徳川幕府より寺領として、碧海郡上野上村(上郷地区)のうちの30石を安堵されたことを示す朱印状。朱印状は将軍の代替わりごとに出されるが、隣松寺には慶安元(1648)年の3代将軍家光から、4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、9代家重、10代家治、11代家斉、12代家慶、13代家定、14代家茂の10点の朱印状が残り、市指定文化財である。3代家光の朱印状(写真)は隣松寺の名前を宛名として文書の奥に記す類型であるが、4代家綱以降は本文中に寺社名を記す類型に変化する。宛名のない類型は当事者である隣松寺以外に地元百姓らの参照も意識した形式である。安堵された30石の土地は、「元禄郷帳」には隣松寺村として記載されており、郷帳が作成された元禄14(1701)年以前に上野上村より分村したことがわかる。


『新修豊田市史』関係箇所:3巻657ページ