(りんしょうじのぶっきょうかいが)
【美術・工芸】
平安初期・承和10(843)年の創建と伝えられる隣松寺(幸町)は、三河における天台宗の中核寺院として重きをなしたが、仁治元(1240)年に京都・知恩院との縁で浄土宗に改宗、江戸時代末には30か寺を超す末寺を有するまでに繁栄した。現存する仏教絵画はいずれも浄土宗寺院となって以降のものである。いずれも室町時代後期・16世紀に制作されたと推定される阿弥陀二十五菩薩来迎図、山越阿弥陀図はともに浄土宗における阿弥陀信仰のありかたを示す。このうち後者は尾張徳川家初代・徳川義直の寄進と伝えられ、隣松寺への徳川家の庇護の厚さをうかがわせる。将来仏画としては、至治3(1323)年の年紀のある高麗仏画の観経十六観変相図がある。これは浄土宗が普及に力を注いだ観経変相図である当麻曼荼羅とは系統を異にする作例として注目される。他に浄土宗とは文脈を異にする作例として、鎌倉時代末期~南北朝時代の制作と推定される釈迦十六善神像、室町時代・16世紀の制作と推定される千体地蔵菩薩像がある。なおこれらのうち、阿弥陀二十五菩薩来迎図・山越阿弥陀図・観経十六観変相図・千体地蔵菩薩像は平成13(2001)年に盗難にあい所在不明である。
『新修豊田市史』関係箇所:21巻258・261・263・265・267ページ
→ 釈迦三尊十六善神像、浄土宗の絵画、当麻曼荼羅、山越阿弥陀図、来迎図、隣松寺、隣松寺阿弥陀二十五菩薩来迎図、隣松寺観経曼荼羅、隣松寺千体地蔵尊図、隣松寺山越阿弥陀図