隣松寺本堂・鐘楼門

 

(りんしょうじほんどう・しょうろうもん)

【建築】

幸町(上郷地区)。本堂は寛文7(1667)年の再建である。寛政12(1800)年角屋を増築、大正11(1922)年には本堂の地上げと屋根替えが行われた。本堂(写真)は桁行5間(実長9間半)、梁間5間(実長7間半)、寄棟造、桟瓦葺、南面して建つ。背面中央には桁行・梁間とも実長3間半の寄棟造、桟瓦葺の角屋を延ばして内陣を拡張している。軒は二軒疎垂木、角屋は一軒大疎垂木。向拝柱は粽付の几帳面取角柱を、礎石・石製礎盤上に立て、柱間に頭貫虹梁を渡し、端に象の彫刻木鼻を付す。柱上には実肘木付の連三斗を置く。本堂の間取りは、堂前半の間口7間(実長7間半)、奥行2間(実長3間)を外陣、その奥中央に間口3間(実長3間半)、奥行5間(実長6間半)の内陣、内陣両脇前半の間口1間(実長2間)、奥行1間(実長1間半)を脇の間、後半の奥行1間半を位牌の間とする。堂前端には間口5間(実長9間半)、奥行1間(実長1間半)の広縁、堂両側面にも間口1間、奥行4間(実長6間)の広縁を付す。柱は内陣廻りを円柱、他は面取角柱とする。堂正面の側柱は、中央間を実長3間半、両脇各2間を実長一間半とし、中央間は内法を高くして方立と両脇に漆喰塗りの小脇壁、方立間に楣を通し肘金具で両開き板戸を吊る。正面中央間を除く各柱間に敷居・鴨居・内法長押・飛貫を通し内法上を漆喰小壁、引違い腰付ガラス戸を入れる。外陣内は畳敷詰め、棹縁天井を張る。内陣正面は粽付円柱、柱間に2本溝の上段框と鴨居・頭貫を通し、頭貫端を木鼻、内法上には彫刻入りの筬欄間を嵌める。柱上には台輪を通して拳鼻・実肘木付の出組斗栱を載せ、中央間は中備にも同様の斗栱を載せる。脇の間正面は、2本溝の敷居と差鴨居、内法上中央に角束を立て、内陣正面の頭貫位置から飛貫を通し、飛貫上を板小壁として飛天の彩画を施す。鴨居と飛貫間には格子欄間を嵌める。位牌の間正面は、無目の上段框を入れ、柱間を開放する。内陣と脇の間境および位牌の間境の柱間には上段框と鴨居・頭貫、脇の間境の框と鴨居には2本溝があり、位牌の間境は無目となる。脇の間境の内法上には粽付の円束を立て、柱上および束上には台輪を通して拳鼻・実肘木付の出組斗栱を載せる。位牌の間背面には間口実長2間、奥行半間の仏壇を設ける。天井は脇の間と位牌の間境に見切りを設けず、棹縁天井を張っている。内陣は背面に増築された角屋の中央に粽付円柱来迎柱を立て、柱間に花頭型の頭貫を渡して木鼻を出す。柱上には皿斗を付けた拳鼻・実肘木付の出組斗栱を載せ、中備に蟇股を配す。また、後方に奥行半間の仏龕を張り出し、前方に禅宗様須弥壇を置く。内陣背面は両端に間口半間、奥行半間の脇仏壇を設ける。内陣の天井は角屋まで一体の格天井。内陣廻りの円柱・ 框・鴨居は朱漆塗り、小壁は彩画を施し、頭貫以上の部材にも極彩色を施している。鐘楼門は、一間一戸の楼門で、上層に梵鐘を吊る。入母屋造、桟瓦葺で、妻飾は木連格子。破風の拝みに梅鉢懸魚を吊り、軒は一軒半繁垂木とする。建立は江戸時代中期とみられる。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻32ページ