(りんぽじぎょうくみあい)
【近代】
隣保とは近隣の家を組み合わせて共同責任を負い、相互扶助を図る制度で、律令制以来の伝統がある。近代、貧しい住民の住む地区に宿泊所・診療所・託児所などを設け、生活向上のために助力する社会事業(いわゆるセツルメント)が隣保事業と呼ばれた。昭和恐慌に際して農林省は、昭和7(1932)年に農村の自力更生のために隣保共助の精神を活用することを求めた。これを受け、愛知県では昭和10年に行政村単位に隣保事業組合が設立された。隣保事業組合は保健・衛生、母性・乳幼児保護、医療の3つの領域を中心とした事業を展開した。額田郡下山村の下山村隣保事業組合では助産・季節保育・健康相談などの事業が、西加茂郡挙母町の今隣保事業組合では教化集会・生活改善・母性並児童保護などの事業が行われた。その後、昭和13年に国民健康保険法が公布・施行され、次第に各地に国民健康保険組合が設立されると医療事業はそちらへ移るが、戦時下になると隣保制度は強化され、隣組制度へと発展する。
『新修豊田市史』関係箇所:4巻515ページ、11巻79ページ