留守家庭児童会

 

(るすかていじどうかい)

【現代】

昭和40年代からの高度経済成長期になると、家庭の母親が働きに出るようになり、留守家庭「鍵っ子」と呼ばれる子ども達が生まれた。豊田市では昭和41(1966)年4月に文部省の留守家庭児童会育成事業計画に従って、留守家庭の比較的多い童子山小学校(在籍児童30人)と高嶺小学校(在籍児童30人)を指定し、留守家庭児童会(学校保育)の開設を依頼した。両校とも、授業終了から午後5時まで留守家庭児童を収容保育した。事業内容としては、「自主的な生活態度の育成」「家族間のよき人間関係醸成」「余暇の善用、安全教育」「好ましい友人、仲間づくり」「個人の能力伸長」とし、開設は週3回午後1時から5時とした。行事として、お誕生会、家庭の日、保護者会、スポーツ、ハイキング、レクリエーションが計画された。なお、昭和46年度から、文部省が助成対象を「校庭開放事業」に切り替えたため、留守家庭児童会は発展的解消した。

『新修豊田市史』関係箇所:14巻394ページ