(れいうんじほんどう・さんもん)
【建築】
小原町(小原地区)。寺は曹洞宗、天文4(1535)年に明洗宗故により、市場城の家老の菩提寺として創立され、本尊は聖観世音菩薩とされる。本堂は、貞享元(1684)年に中興8世が造立し、その後、安永3(1774)年に再建を始め、翌年4月に竣工した。願主は第13世泰柱國穏、大工棟梁は高木孫兵衛政春である。本堂(写真)は、桁行5間、梁間5間半、寄棟造、鉄板葺、一間向拝付、南面建ち。間取りは、前面に広縁を通し、前後2列、横3室の方丈形式とする。向拝は、柱上に虹梁を渡し、連三斗を載せ、内方に手挟を出し、主屋と海老虹梁で繋ぐ。堂前面では中央柱間に角梁を渡し、石階を設けて入口とし、その両脇では中敷居、差鴨居を通して引違い窓とし、柱上には斗栱を用いず、二軒半繁垂木をみせる。堂内は、広縁を畳敷詰め、大間は間口3間、奥行2間半の15畳とし、大間前面では中央間を広く柱間3間とし、中央柱間に差鴨居を通し、その両脇では各室境とともに敷鴨居、内法長押を通し、内法上を漆喰壁とする。大間両脇では、内法上中央に吊束を入れて菱格子欄間を入れ、天井より小壁を下ろす。上の間・下の間では10畳とし、上奥の間、下奥の間では8畳としていずれも棹縁天井を張り、上奥の間では背面に床の間、押入れを設け、下奥の間では仏壇を設け、正面に虹梁を渡している。内陣は、前面に2本の丸柱を立て、柱間3間に虹梁を3スパン渡して上に菱格子欄間を入れ、柱上に平三斗を置いている。内陣の中央後方では来迎柱を立て前に禅宗様須弥壇を出して本尊を安置し、柱上に平三斗を置いている。内陣背面では、後門を開けて両脇に脇仏壇を設け、後方に開山堂を設けている。山門は、切妻造、銅板葺、一間薬医門。主柱間に冠木、蹴放を通して板扉を吊る。主柱と控柱間では、腰貫、飛貫を通し、頭貫を雄梁とし、前方では持出し梁の先端に出三斗を置いて軒桁を支え、後方の控柱上では頭貫とし、背面の控柱間では虹梁を渡し、柱頂に出三斗を載せ、内部には格天井を張る。妻は、虹梁・大瓶束とし、破風には蕪懸魚・鰭付を吊る。この門は、様式的に幕末から明治初のものとみられ、彫刻を要所に加えた木太い重厚な門である。
『新修豊田市史』関係箇所:22巻152ページ