蓮台寺本堂

 

(れんだいじほんどう)

【建築】

上野町(高橋地区)。18世紀中期の建築。法然山地蔵院蓮台寺と号し、浄土宗に属する。本堂の建立年代については、中興である聴誉還諦が延享3(1746)年に寺号を改めた際、本堂も再建したとみられ、現本堂の虹梁絵様や木鼻彫刻も18世紀中期の様式を示している。本堂は桁行3間(実長4間)、梁間3間(実長3間半)、寄棟造、桟瓦葺の小型の堂で、南面して建つ。軒は一軒疎垂木、正面に一間向拝を付し、背面中央には奥行実長1間半、両脇奥行半間の下屋庇を付す。向拝柱は粽付の几帳面取角柱、礎石・石製礎盤上に立つ。柱間には頭貫虹梁を渡し、端に象鼻を出す。柱上には出三斗(端部連三斗)を載せ、背面に手挟を入れ、中備には蟇股を配す。間取りは堂前半の間口3間(実長4間)、奥行2間を外陣とし、その後方中央に間口1間(実長2間)、奥行4間(実長3間)の内陣を配し、内陣両脇の間口1間、奥行2間(実長2間)を脇の間とする。正面と西側面には濡縁を設け、正面中央に木階1級・石階2級を付す。主屋の柱は来迎柱のみを円柱とし、他はすべて面取角柱とする。堂の正面と西側面の側柱間には縁長押・敷居・鴨居・内法長押・飛貫を通し、内法上に漆喰小壁を設け、正面中央は内法高を高くして虹梁、建具は正面は腰付ガラス戸、側面は板戸、障子の引違いとする。正面、側面とも柱上に斗栱は無く、直接軒桁を受ける。内陣・外陣の柱上にも斗栱は無い。天井は棹縁天井を張り、床は畳を敷詰める。粽付円柱の来迎柱の柱間に頭貫を通して端に木鼻、頂上に台輪を置いて拳鼻・実肘木付の出三斗を載せる。来迎壁の前には禅宗様須弥壇を置き、本尊を祀る。来迎柱の半間後方の両脇に間口半間、奥行半間の脇仏壇を設ける。脇の間は背面に間口1間、奥行半間の仏壇を設ける。来迎柱の後方は拭板敷きとする。この本堂は脇の間の間口を1間とし、広縁も設けず、最小規模の構成をとり、内陣と脇の間の床高も外陣と同高で上段とせず、もとは脇の間が襖で間仕切られていたと考えられ、方丈形式の特徴が残っている。来迎柱のみを円柱とし、斗栱も来迎柱上に用いられるのみで、仏堂的な装飾も一部に限られ、簡素な扱いの浄土宗本堂の遺構である。


『新修豊田市史』関係箇所:22巻27ページ