六所山 

 

(ろくしょさん)

【近世】

宮口村(松平地区)にあり、日明村(松平地区)・柵之沢村・槙田和村(ともに下山地区)に接する山。六所神社があり、その霊山として六所山について神主が大きな発言力を持っていた。万治3(1660)年六所神社と日明村との間に境争論が起こり、幕府の裁許では六所神社の主張が通り、境も定められたが、六所山にある日明村の新田はこれまで通り日明村のものと認められた。宮口村と槙田和村とは延宝2(1674)年に境を確認しているが、文化7(1810)年には風折松を発端に境争論が起こっている。幕府の裁許を受け、境に定杭8本を双方立ち会いのもと設置した。日明村と柵之沢村は六所山の一部を入会地として利用していたが、明治3(1870)年その範囲が争われ、万治3年裁許の境界に従った定杭の設置と、入会場所の申合せがなされた。こうした争論資料の中で、六所神社だけでなく高月院も普請用木を六所山で得ていたことがわかる。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻250ページ、9巻124・129・132ページ