和歌

 

(わか)

【近世】

中世以来の伝統的な文芸。古今伝授を家職とする三条西家など京都の公家を介して、公家や大名のたしなみとして継承された。近世初期は多くの大名歌人が生まれたが、俳諧のような革新的な動きはあまりみられなかった。近世中期に国学が興ると、国学者は古今伝授の歌人の説を根拠がないとして批判し、古典を典拠とした和歌を詠んだ。嘉永7(1854)年、梅ヶ坪村(挙母地区)の太田道貴が編者となって刊行された『三河国衣乃里艶桜和歌集 初編』は、序文を尾張藩士の国学者市岡和雄が記し、和歌の提出先を岡崎の樋口与次右衛門と名古屋の文教堂保兵衛、板木の彫師を江戸の彫師が引き受けている。巻末には、主に三河・尾張の和歌の詠み手 293 人の住所と名前からなる作者一覧が掲載されており、幕末の三河における和歌の活動の一端を知ることができる。

『新修豊田市史』関係箇所:3巻573ページ