若尾氏

 

(わかおし)

【古代・中世】

平安末期の足助地域の氏族。綾渡町の平勝寺に残された観音菩薩坐像の胎内墨書銘は、平治元(1159)年10月の日付で、40人以上の人名を記している。この木像を製作するために協力した人々の名前であろう。その中心となっていたのが若尾氏である。沙弥妙蓮とその子の若尾貞助の家を中心とした若尾氏は、全体で13人以上が見出され、当時、足助周辺の地で最も有力な氏族であったと考えられる。しかし、この墨書銘によってたまたま存在が知られる若尾氏は、それ以降の足助の歴史の中でまったく確認することができない。若尾氏など墨書銘に記された者たちに代わって、以後の足助で活動したのは、美濃尾張源氏の一族である源重長とその子孫である。それが足助氏であった。おそらく若尾氏は、足助氏による軍事的な進出によって駆逐され、歴史の表舞台から消し去られていったものであろう。

『新修豊田市史』関係箇所:2巻191ページ

→ 平勝寺観音菩薩坐像