若者組

 

(わかものぐみ)

【民俗】〈社会生活〉

若者組は青年男子の組織で、近世以来、ムラの治安維持、災害時の出動、祭礼の執行などで中心的な役割を担ってきた。一般にはワカイシュウ(若い衆)、ワカシュウ(若衆)、ワカレン(若連)などと呼ばれる。若者組の加入年齢は15歳から徴兵検査までで、結婚すると退会したところが多かった。中には15歳から25歳、15歳から30歳、15歳から35歳などの事例もある。葛沢(足助地区)では昭和になって25歳までになったといい、35歳を上限とした綾渡(足助地区)でも、一時期は30歳までに短縮されていた。千足(挙母地区)では祭礼に飾り馬を奉納するため、20歳以下の者は、定数が達するまで加入年齢を下げる方式を取っていた。なお、戦前は中学校などに進学する者は加入を除外されていた。若者組への加入の時期は、正月、初午、氏神の秋祭りなどであった。八草(保見地区)では、かつては旧暦正月16日が加入の時で、親が付き添って酒1升を持参し、若連中の集会所へ行って入会の挨拶をした。入会者一同が並び、「御条目」という若連中の心得を頭かしらから申し渡された。若者組に加入したばかりの者は、猿投(猿投地区)、夏焼(稲武地区)では新入り、綾渡では新若い衆、小若い衆といい、年配者の使い走りなど下働きを務めた。若者組に加入すれば大人として待遇されるが、若者組の活動を通じて一人前のムラ人に育てられたのであり、ムラ社会を維持してゆくための教育機関としての側面を持っていた。他ムラから婿養子に来た場合、一定期間、若い衆勤めを義務付けられるところもあり、綾渡、夏焼では「入り婿三年」といって3年間、葛沢では5年間加入した。若者組の取りまとめ役をカシラ(頭)(若衆頭、若い者頭など)、年行司(年行事)といい、最年長の者や信望のある者が務めた。葛沢・綾渡・霧山・小町・四ツ松(足助地区)では2人で、葛沢では家の跡取りと決まっていた。綾渡では東洞と西洞で各1人、小町では正副各1人、四ツ松でも長と見習い各1人を出し、見習いは翌年に長になった。若者組の掟は厳しく、御立(高橋地区)では若衆連の規則に違反した場合、その者の親はムラで口がきけず、親類の者1人と組(五人組)の者1人で若衆連の顧問(4人)を経て謝罪することになっていた。市域の若者組の活動状況をみると、一番盛んだったのは鉄砲と馬(飾り馬)、棒の手、囃子や花火、山車の奉納など、ムラの祭礼の実行組織としての関与であり、ほかには盆のヒャクハッタイ(百八燈)、夜念仏、念仏踊り、芝居や狂言の娯楽、消防・警備や共同労働などをあげることができる。若者組は日露戦争後の地方改良運動で青年会に統合され、高度経済成長期に高校進学率が高まると消滅したところが多い。畝部東(上郷地区)では「年をとっても名前だけは若衆頭」といって、年配の者が神社を取り仕切るようになった。〈社会生活〉

『新修豊田市史』関係箇所:15巻521ページ、16巻474ページ