渡辺規綱  1792~1871

 

(わたなべのりつな)

【近世】

寺部(高橋地区)に陣屋を構えた尾張藩重臣渡辺家の10代当主。雅号又日庵。寛政4(1792)年、三河国奥殿藩主松平乗友の次男として江戸で出生。3歳で叔父の9代当主綱光の養子となり、文化元(1804)年には13歳で家督を継いだ。同14年に尾張藩家老となり、従五位下飛騨守に任官するが、翌年26歳の若さで隠居して兵庫頭に改任した。茶道の裏千家流家元千宗室玄々斎は弟にあたり、規綱と玄々斎は茶の湯を通じて交流した。規綱は、寺部役所内に「又日亭」と呼ばれる茶室を建てて茶事を行った。また、尾頭(名古屋市)にあった渡辺家下屋敷内には、玄々斎好みの茶室「捻駕篭の席」を建てている。


『新修豊田市史』関係箇所:3巻589ページ

→ 裏千家流千宗室(玄々斎)又日亭渡辺家(尾張藩)