東京オリンピックと水不足

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昭和三九年は東京オリンピックが開催された年である。その年の一〇月には、東海道新幹線が新大阪まで開業され、日本の経済は高度成長期をむかえ、人びとは活気にあふれていた。
 このはなやかな記憶のなかに、ともすれば忘れがちであるが、昭和三九年の東京は水キキンの東京でもあった。この年の七月から八月の下旬にかけては、東京ばかりでなく関東一円に水不足がつづいて、水源地のダムの水は底をつき、八月上旬の東京では、ついに一日五時間給水の最悪の状態となってしまった。人びとは、雲がでれば雨が降ればよいと思い、風が吹けば台風までをたのみとし、有効な施策をまちのぞんだ。
 東京の西郊にある鶴ケ島もその例外ではなかった。その年は、春から雨が少なく、水田の作付けも例年よりおそく、六月末にようやく完了するといった有様だった。七月にはいっても事態はいっこうに良くならず、中旬から半月ほどのあいだ雨はほとんど降る気配もなかった。すでに陸稲(おかぼ)は立枯れ寸前にあり、水田にはひび割れができ、小川を流れる水は一滴もなかった。