高麗川の沖積層は、軟らかい粘土層(Ac)と高麗川が運んできた砂層(As)と礫層(Ag)からつくられている。これらの地層は今から一万年ほどまえに、高麗川がえぐりこんだ古い谷を埋めるように堆積したものである。この古い谷の深さは最大一五メートルほどである。このような地下の谷は「埋没谷」あるいは「化石谷」とも呼ばれている。
この化石谷の下流への延長は入間川や荒川などの沖積地下にも追跡され、氷河時代の海水面が現在より一〇〇メートル以上も低下していた根拠の一つともなるのだが、その話はあとにゆずる。また、この化石谷の上流への延長は、台地のなかの飯盛川や大谷川などの谷筋にも追跡できる。これらの谷底には、かつてのアシやヨシなどの植物が積もってできた真黒な泥炭(P)が認められる。この泥炭には花粉の化石が沢山含まれており、古い時代の植生を知る有力な手がかりとなっている。この話もあとにゆずろう。
沖積層の粘土はきわめて軟弱で、地下水をくみ上げたり、工事をすすめるさい、地盤沈下などをおこす心配がある。現に高麗川の低地帯でも地盤沈下が進行しているが、その原因は地下水のくみ上げすぎにあるといわれている。この場合にも、地盤沈下の度合は化石谷の形に左右されるといわれており、古い時代の化石谷といえども現在のわれわれの生活と大きく関係している。