斜交する二つの扇状地

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図―4は、下末吉面に相当する入間川の旧扇状地と、武蔵野面に相当する高麗川の旧扇状地の関係を分かりやすく表現したものである。

図1―4 高麗川扇状地(武蔵野面)と入間川扇状地(下末吉面)との関係

 この図から、今から一〇万年まえ頃、下末吉時代の入間川は、現在のそれよりも北の方向にむかって流れ、入間川旧扇状地を形成し、そのあと五万年ほどたって、武蔵野時代にはいると高麗川が入間川旧扇状地に斜交するように扇状地をつくりあげたことが読みとれる。二つの旧扇状地が斜交することは、現在の飯能市から狭山市にかけての地域が、まわりの地域より地殻変動で上昇したことを物語っている。
 この上昇傾向は、二万年から三万年まえの立川時代にもひきつがれている。当時、青梅から狭山をぬけ、現在の入間川とほぼ平行して北流していた多摩川も、その影響を受けて現在の南東方向の流路に変じたことが、地質、地形の調査から判明している。
 現在の高麗川が、坂戸・鶴ケ島台地の北縁を流れているのも、この一連の地殻運動の影響によるものと思われる。
 このように、われわれのすむ鶴ケ島の土地も、約一〇〇万年の歴史のなかで、現在のすがたが形成されてきたことが理解されよう。逆にいえば、大地にきざまれた歴史を克明に読みとることで、自然の生い立ちを具体的に知ることができるのである。そしてその知識は、これからの鶴ケ島のあるべきすがたを論じるさい、有効な働きをもたらすに違いない。
  〔参考文献〕
藤倉寛三(一九七九)『雷電池 雨乞い 板倉雷電様』、鶴ケ島町史編さん室。

堀口萬吉編著(一九七九)『日曜の地学―埼玉の地質をめぐって』築地書館。

関東ローム研究グループ(一九六五)『関東ローム』、築地書館。

柴崎達雄・水収支研究グループ(一九七六)『地下水盆の管理』、東海大学出版会。

新堀友行・柴崎達雄編(一九八二)『第四紀、第二版』、共立出版。

高篠喜一編(一九八一)『ふるさと鶴ケ島』、鶴ケ島町史編さん室。

鶴ケ島脚折遺跡群発掘調査団(一九八五)『雷電池並びに周辺調査報告書』、鶴ケ島町教育委員会。