四季の変化に恵まれた日本にあって、私たちは生活の中で季節変化を敏感に受け止めてきた。とりわけ、自然との直接の交流が生産の基礎となっている場合(農・林・漁業)には、それは重大な関心事であった。この関心は、人々により共有され蓄積され、様々な経験則や美意識や民俗行事となって後世に伝えられた。このことは、かつて純農村であった鶴ケ島に於いても例外ではない。
しかし現在、特に鶴ケ島で顕著であるように、広範な都市化の波が生活全般に打ち寄せてくる中で、私たちの季節に対する感受性は除々に鈍化しつつあるかに見える。冷暖房設備は快適な気温の保持を可能とし、雨天の日の外出も自動車等を利用すればさしたる不便を感じないですむ。照明はもう一つの昼を生み出し、食卓に並ぶ魚や野菜や果物から受ける季節感も随分と希薄になった。季節を知らせる草木鳥虫魚の種類や数も概(おおむね)減少の傾向にある。
勿論、そうはいっても、私たちの生活の中で季節が失なわれてしまったという訳ではない。人間の制禦しえているのは、依然として気候、気象のほんの小さな部分であるに過ぎない。一歩屋外に出れば、二次林、三次林とはいえ、林の萌える緑や鮮やかな紅葉は季節の移ろいを教え、気温の寒暖、湿度の高低、日射しの強弱、月の満ち欠けもほぼ昔通りで、暦に従い今も様々な行事が実施されている。(尤も、年中行事は元来旧暦―月の満ち欠けを基準とした太陰暦―に基づいて日の決められることが多く、明治の初年に採用された新暦―太陽の運行を基準とした太陽暦―と比べひと月程度のズレが生じているので、注意する必要がある。)
以下、私たちの生活と、その基本的なサイクルである季節変化との関係を、各月毎に具体に即して見ていこう。