鶴ケ島の町内にも尾瀬や北海道にみられるような湿原や泥炭がある、といったら驚く人が多いのではなかろうか。
もともと泥炭は、寒冷地や高山地帯の沼や湖などの周辺の湿潤な土地に生えていた木や草が積もってできたもので、日本でも北緯四〇度以北の東北、北海道地方や標高一、〇〇〇メートル以上の湿原にみられることが多い。その理由は、寒冷な土地では微生物の発育が悪いので、水辺に積もった草木が分解されにくく、泥炭として残りやすいためである。
鶴ケ島では、第一章で述べた湧水、たとえば逆木池、雷電池、池尻池のまわりや台地をきりきざむ谷底に、規模が小さくとも湿原があり、そこを掘ると真黒などろどろした土がでてくる。この真黒な土が泥炭である。もちろん泥炭とはいっても、ほとんどが分解されており、乾燥させても燃えるものではない。
この泥炭が北緯三五度五五分にある鶴ケ島にみられること自体、かつての鶴ケ島の気候が、現在よりもやや冷涼であったことを暗示させるものである。しかしこれだけでは、いつごろ、どんな気候条件にあったかを知ることはできない。