1 哺乳類

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 動物というと哺乳類のことしか考えない人がいるほどなじみ深いのに、野生の哺乳類たちと遭遇する機会はめったにない。大部分の種類が夜行性であったり、人目をさけて行動するからであろう。
 鶴ケ島の哺乳類は女子栄養大の平田久氏により調査され、一二種が記録されている。しかしこの報告にはコウモリ類が除外されているので、確実に生息するイエコウモリを加え、所産種の合計は一三種ということになる。
 シカやイノシシも生息していたにちがいないが、すでに鶴ケ島にはいない。絶滅年代さえ定かでない。リスは比較的最近まで生息していたと考えられるが、これについての情報はない。平田氏の報告でも扱われていないし、筆者も鶴ケ島地区ではまだ一度もお目にかかったことがない。絶滅したのであろうか。ムササビも平地には残りにくい種類であるが高徳神社などには最近まで生存していたらしい。前記平田氏によって生活痕が観察されている。ひょっとするとまだどこかに生き残っているかもしれない。
 キツネ・タヌキは今でも少数見られる。高倉などには林内に養鶏場を設置したところがあるが、こうした環境が餌場のひとつとして利用されているのであろうか。道路上での轢死体の情報は今でも時どき耳にする(最近では昭和六〇年一月二一日、高倉の中島良雄氏よりもたらされたタヌキの例など)。イタチもまた減少著しい種類である。主食の一つである水辺のカエル類の減少が追いうちをかけていると考えられる。昭和四〇年代には脚折北部の飯盛川周辺にもよく出没したが、区画整理後は全く見られなくなった。しかし現在でも高倉・三ツ木・太田ケ谷・藤金・上広谷・五味ケ谷など、飯盛川・大谷川流域の残存林周辺には生息する。キツネ・タヌキの場合もそうであるが、路上での轢死体確認が有力な情報源の一つになっている。

図1-21 都市化が進むと動物の世界にはこんな変化がおこる(大野,1980)

 鶴ケ島のノウサギは亜種としてはキュウシュウノウサギらしい。やはり減少著しい種類であるが、イタチの生息域には僅かながら生存している。直接姿を見ることは少ないが、糞塊や足跡は今でも注意すればよく見られる。ただし、ところによっては野生化しかかったカイウサギがうろついているので、姿を見ないと区別できない場合もありうる。
 食虫類のなかまではアズマモグラとホンシュウジネズミが見られる。モグラにはもう一種ヒミズモグラがいるが、傾斜地を好むこの種類は鶴ケ島のような地勢のところに分布する可能性は少ない。アズマモグラは町内各地に広く分布する。おそらく野生の哺乳類の中で、最も小規模の緑地で生き残れる種類であろう。そうした意味で哺乳類の生き残れる環境容量を考えるうえで、この種類の生息限界を知ることは大へん重要である。しかし、往年、都内の動物調査をしたとき、このモグラの生息さえ許さない名ばかりの緑地がいかに多いかを知った。ホンシュウジネズミは平地にも見られる唯一のジネズミであるが、開発の中で退行の著しい種類である。鶴ケ島では平田氏により太田ケ谷地区で確認されているが、はたしてどのような分布をしているのであろうか。
 ネズミ類は森林性のアカネズミ、ススキやヨシの草原に生息するカヤネズミ、耕地や草地をすみかとするハネタズミのような野ネズミのほかハツカネズミ・クマネズミ・ドブネズミのような人の居住地域に住みついた家ネズミが見られる。アカネズミは比較的まとまった林があれば、今でもかなりの数がみられ、またハタネズミも町内各地に広く見られるが、区画整理の行われた脚折北部地区などではもはやほとんどその姿に接することはできない。カヤネズミは草上に鳥の巣を思わせる球状の巣をつくることで有名であるが、生息環境となるまとまったススキやヨシの草原が減少しているため、このネズミもまた分布域がせばめられつつある。平田氏の報告には五味ケ谷と太田ケ谷が記録されているだけである。今でも大谷川流域には本種の生活できそうな環境が点在する。しかし、そうした環境もいつまで残されるか保証の限りではない。かつて見られた飯盛川流域の生息地などはその後の開発による環境変化で完全に壊滅した。

図1―22 カヤネズミとその巣 ススキやヨシの草原で見られるが鶴ケ島には現在僅かな数しか生き残っていない

 イエコウモリは今でも町内に広く分布する。夕方および夜明けごろ群れ飛ぶコウモリの姿をよく見かける。開発の進んだ脚折北部の区画整理地区でも稀ではない。コウモリの種名は飛んでいる姿だけで確かめるのは難しいが、かつて(昭和五一年三月三一日)筆者宅の雨戸の戸袋に住みついた個体でイエコウモリであることを確認した。イエコウモリ以外のコウモリの分布については不明。今後の調査にまたねばならない。