その中で留鳥として繁殖する種類はカイツブリ・ゴイサギ・コサギ・カルガモ・コジュケイ・キジ・ヒバリ・キセキレイ・セグロセキレイ・ヒヨドリ・モズ・エナガ・シジュウカラ・ホオジロ・カワラヒワ・イカル・スズメ・ムクドリ・オナガ・ハシボソカラス・ハシブトカラスの二一種、夏鳥として繁殖する種類はツバメ・イワツバメ・オオヨシキリ・セッカの四種、計二五種である。しかし、このほかに繁殖してもおかしくない種類がまだある。コゲラ・ハクセキレイ・ウグイス・カワセミの四種とカッコウ・アオバズク・サンショウクイ・サンコウチョウ・ヒクイナ・バン・ヨタカの夏鳥七種である。
ハクセキレイは、以前は鶴ケ島では見られなかったが、近年は夏でもその姿を見かける。キツツキの一種であるコゲラも高倉や高徳神社では年間を通して観察されており、一九八七年三月二二日には、脚折町二丁目の筆者自庭にまで姿を現した。カワセミは、数は少ないながら池尻池・太田ケ谷沼で観察され、筆者も昨年藤小前の大谷川や前記太田ケ谷沼で確認している。ウグイスは一般に繁殖期には山に移動するといわれているが、筆者は六~八月に数例を町内で観察しており、昨年八月にも関越病院近くで、同じ個体を三日間観察し続けることができた。町内で繁殖する個体がいるのかもしれない。(山から下りてくる越冬個体は一一月上旬に姿を現わす)
カッコウは、托卵(別の種類の鳥に子どもを育ててもらうためその鳥の巣に卵を産み込むこと)の相手であるオオヨシキリが、ヨシ草原とともに減少したためであろうか。一時、あまり鳴き声を耳にできなくなっていたが、二年前くらいからやや盛り返してきた。托卵の相手として新たにオナガなどがねらわれるようになったためかもしれない。アオバズクの声も昭和四〇年代にはよく聞いた。おそらくその当時は繁殖していたのであろう。昨年五月一二日午前一時二〇分、羽折稲荷の森から「オクッポー、オクッポー」と久しぶりになつかしいアオバズクの声、夜中ではあったが自転車でその声を追った。別の方角からの声も同時に確認できたので、少なくとも二羽はいたことになる。サンショウクイも以前は鶴ケ島に多かった。林を飛び立ち、「ヒーリリ、ヒーリリ」と鳴きながら水田の上空を横切る姿は決して珍らしくなかった。しかし脚折北部では、昭和五三年ころを最後にほとんど姿が見られなくなった。「ツキヒホシ、ホイホイ」と鳴くサンコウチョウもサンショウクイと同じような推移をたどっている。ヒクイナは昭和四〇年代には飯盛川周辺で繁殖していたようである。「キョッキョッキョッキョキョキョキョキョ」という特徴的な鳴き声がよく聞けた。一昨年、寿橋付近で久しぶりにこのヒクイナの声を聞いたが、この付近もやがて護岸工事が施工されるという。その時このヒクイナは飯盛川流域から完全に姿を消すことになるであろう。バンもかつては飯盛川沿いに繁殖地があった。昭和四五年七月一八日、筆者は飯盛川で子供たちが拾ってきた幼鳥を確認している。現在では極端に個体数が減少してしまったが、昨年五月四日、八月八日、二回にわたり太田ケ谷沼で二羽の成鳥を観察することができた。繁殖までは確認できなかったが望みなきにあらずといったところである。「キョキョキョキョ……」と連続的に鳴き続けるヨタカの声も、昭和四五年ころまでは飯盛川周辺で普通であった。しかし筆者のノートには昭和五三年五月二七日以後の記録がとだえている。高倉・太田ケ谷などでは今でも見られると思うが、その数は決して多くないであろう。
図1―23 アオバヅク 夜、オクッポー,オクポーと鳴く。営巣する大木が減ったためか、鶴ケ島ではこの鳥の声を聞くことが少なくなった。
鶴ケ島の夏鳥の中で、最近住みついたと考えられるニュー・フェイスはイワツバメである。もともとの繁殖地は一、〇〇〇メートルを越す山地帯であったが、近年、平野部への進出が目立つ。埼玉県の平野部における繁殖記録は昭和二四年、筆者が報告した東飯能駅での例が最初であるが、昭和五九年、この鳥はとうとう鶴ケ島にも姿を現した。関越自道車道の橋梁部(ガード)が営巣場所となっているが、今後どのような推移をたどるか見ものである。
秋から春、あるいは冬期に限ってみられる鳥類としてはジョウビタキ・ビンズイ・メジロ・シロハラ・アカハラ・ツグミ・トラツグミ・キクイタダキ・カシラダカ・アオジ・シメ・カケス・タゲリなどがある。
シベリアなどから渡ってくるジョウビタキ(ダンゴショイの方言がある)やツグミは冬鳥の代表といえよう。脚折北部のように都市化した地域でも相変らず姿が見られる。カケスは山地からの移動者であるが、高倉や三ツ木・太田ケ谷・高徳神社など、比較的保存のよい林内でよく姿を見かける。トラツグミも鶴ケ島では秋から春にかけての鳥である。夜明けにしか鳴かないため一般にはなじみがないが、「ヒーッヒーッ」という笛を吹くようなその声は、一度聞いたらまず忘れない。数は少ないが今でも鶴ケ島の各地に姿を見せるようである。脚折北部における筆者の観察ノートでは、声を聞いた最も早い日は一〇月一四日、最も遅い日は四月一七日となっている。
カモ類はカルガモを除けばすべて冬鳥である。しかし鶴ケ島の池沼にはどういうわけか冬鳥としてのカモ類が少ない。一応、コガモ・マガモ・オナガガモ・ヨシガモなどが池尻池その他に姿を見せはするが、行けば必らず見られるといった状況ではない。
以上のほか、南から北(山地を含む)へ、北から南への移動期に、極く短期間とどまる旅鳥がある。エゾヒタキ・コサメビタキ・マヒワ・オオルリ・クサシギ・タヒバリ・ホトトギス・サシバ・ツミなどその例であるが、観察例は極めて少ない。前に挙げたサンコウチョウなども町内で繁殖しなければ、ここに移すべきであろう。昨年五月一一日、筆者は高倉の林でセンダイムシクイを確認したが、これも移動中の個体であったようである。
最後に身近な繁殖鳥のいくつかを紹介しておこう。まずカラス。鶴ケ島には口ばしの細いハシボソガラスと、これが太いハシブトガラスの二種が生息し、耕地のような開放的環境と森林のような閉鎖的な環境を何となく住み分けているが、これはそれほど厳密ではない。鶴ケ島には高倉の林にかなりまとまったねぐらがある。夕方にはここに数百羽のカラスが集まり、朝は薄暗いうち、ここを飛び立って行く。
ムクドリも鶴ケ島には多い鳥である。坂戸市関間四丁目に大きな集団ねぐらがあり、夜明けとともに四方に飛び立ち、夕方再びここに戻ってくる。夜明けの分散は横列をなして波状的に行われるが、数百メートルにも及ぶムクドリの隊列が、後から後から押し寄せてくるさまは何にたとえたらよいであろうか。また、夕方のねぐらに戻る集団は、一時途中に集結し、時刻到来とともに一せいに舞い上がり、うごめく雲塊のようになってねぐらに向かう。これまた壮観というほかない。このムクドリたちのねぐらとなっている関間地区も次第に開発されているためであろうか。昭和六一年には今までの位置から約三〇〇メートル南東に移動、その一部はついに鶴ケ島の藤金地区に接し始めた。しばらくはこのねぐらが利用されるであろうが、いずれこの林も宅地化で失われるにちがいない。そのときムクドリたちは、いったいどこに新しいねぐらを求めるであろうか。ムクドリのねぐらに接してその北隣りには、若いスズメたちのねぐらがある。ともども、先き行きが気になるところではある。