日本で見られるおもなツルは、タンチョウヅル・ナベヅル・マナヅルの三種である。これらのうち繁殖するのはタンチョウヅルだけで、しかもその繁殖地は北海道の一部に限られている。ナベヅル・マナヅルは個体数は多いが、繁殖地はシベリアで、冬季、越冬のため渡来する個体が山口県や鹿児島県で見られるにすぎない(このほかソデグロヅル・クロヅル・カナダヅル・アネハヅルも、冬鳥、あるいは迷鳥として飛来することがあるが稀)。これらツル類の繁殖地や渡来地は、往時にあっては今よりはるかに広く、かつ多かったであろうが、繁殖・渡来のパターンは昔も今も、基本的には変わっていない。つまり、ツル類は冬鳥であって、日本で繁殖する種類はほとんどなかったと考えてよいのである(タンチョウも本州以南では冬鳥)。
だとすると、鶴ケ島で繁殖したというツルはそもそも何ヅルであったのだろうか。ナベヅルやマナヅルのような完全な冬鳥ではその可能性はまずない。それならタンチョウであろうか。タンチョウであれば現に北海道で繁殖している例があるので、ひょっとしたらという可能性が出てくるからである。
しかし、鶴ケ島のツルがタンチョウだとすると大きな矛盾を生じる。タンチョウヅル(ほかのツルを含め、ツル類すべてに言えることであるが)の営巣場所は地表であり、樹上に巣作りすることは絶対にありえないからである。営巣どころか、樹上に体を休めることすらまず、ないといっていい(ねぐらは浅い水たまり。そこで立ったまま集団で眠る)。
それなら、どうして樹上で営巣するツルの伝説が生まれたのであろうか。考えられることの一つは、ツルによく似たほかの鳥をツルと誤ったのではないかということである。かつて鶴ケ島に生息していた、あるいは生息していたであろうと考えられる鳥の中から、それらしい種類を拾ってみると、その候補としてコウノトリが浮かび上がってくる。
コウノトリはツルのなかまではないが、一見したところツル、それもソデグロヅルによく似ている。姿だけ見たらツルと間違えても不思議はない。しかしその習性は全く異なる。決定的な相違点は樹の梢などに止まる性質が強いこと、そして巣づくりは必らず樹上という点である。今でこそこのコウノトリも、日本からほとんど姿を消してしまったが(兵庫県と福井県では比較的遅くまで繁殖していたが、その繁殖地もすでに消滅、現在では北海道から沖縄までの各地で、大陸から飛来する個体が時折見かけられるだけである。中には一か月以上にわたり複数の個体が滞在したという観察例もあるが、新しい繁殖地ができたという報告はない)、記録によると、かつては本州・四国・九州の各地に繁殖地が散在、東京付近での営巣例も稀ではなかったようである。
そこで、鶴ケ島のツルを、思いきってこのコウノトリにおきかえてみよう。コウノトリであればその昔、これが鶴ケ島にいたとしてもおかしくない。マツの木に巣づくりしたとしてもこれもまた不自然ではない。鶴ケ島のツル伝説は、このときはじめてすっきりしてくるのではなかろうか。
古い日本画の中には、鶴ケ島のツル伝説そっくりの作品がある。鳥の姿はたしかにタンチョウヅル。そしてそのツルが松の樹上に巣づくりしているという構図である。もちろん誤りである。しかしこうした絵が描かれるには、それなりの理由もあったにちがいない。つまりこうである。当時の人はツルを知ってはいたが、本州などでは繁殖しないため、どんなところに巣をつくるかまでの知識はもたなかった。ただコウノトリだけは留鳥であったため、巣づくりについても知識があった。巣は樹上に営む。それならツルはコウノトリに似ているのだから、これも樹上に巣をつくるにちがいない。当時の人がそう考えたとしても不思議はなかろう。
そこで例の絵である。鳥は最も目出たいタンチョウを選び、これを、同じく目出たい木のマツにとまらせる。しかし、それだけではまだおもしろくない。さらに、多分こんな状態であろうと、コウノトリの知識を借用して巣づくりまでやらせてみる。その結果出来上がった構図がマツに巣ごもるタンチョウヅルではなかったのだろうか。
鶴ケ島のツルの場合は、多少事情が異なるかもしれないが、心理的ないし心情的背景は似ていると思う。しかし、だからといって筆者は、ここで鶴ケ島を鴻ノ島に変えるべきだ、などという大それた主張をするつもりはない。ただ鶴ケ島のツルは、ツルに似たコウノトリでなければならない根拠を示しておきたいだけである。鶴ケ島のツル伝説は、ツルの習性について誤った知識を普及させるおそれなきにしもあらずだからである。
図1-24 コウノトリ ツルとよく間違えられる鶴ケ島のツルも、正体はこのコウノトリか。