第四章 古墳時代

118 ~ 118
 古墳時代は、前方後円墳を頂点として、前方後方墳、方墳、円墳、双方中円墳などの高塚墳がほぼ全国的規模で築かれたことに象徴されるように、大和、河内に形成された大王権のもとに全国が政治的にも文化的にも一つに編成された時代であった。
 弥生式土器に替って出現した土師器(はじき)は、弥生土器がもっていた地域性を払拭し、全国的に均質な土器型式を生み出すもとになった。石器時代的な要素もなくなり、完全に鉄器文化へと脱皮した。このことは特に農具の改良に威力を発揮し、鉄製農工具の出現と普及は弥生時代には開墾不能地として放置されていた乾燥地帯の耕地化の原動力となり、農地の飛躍的な拡大がもたらされた。農業生産力の上昇が古墳文化の展開を根底で支える基盤となった。
 倭の五王の中国への遣使に象徴されるように、この時代は大陸との交渉が頻繁に行なわれた。特に朝鮮半島との交流が密接になった結果、あらゆる方面で半島の進んだ文化と技術がとり入れられた。東アジアの一員としての国際化の中で、文字が使用され始めたことは、長い先史時代が終り、歴史時代への幕あけを告げるものであった。
 古墳時代がいつ始まるかについてはなお議論の分かれる所であるが、三世紀後半から四世紀の初め頃には古墳の造営が始まったと見られ、四世紀末頃までを前期、五世紀中頃以後を後期とし、この間の五世紀前半を中心とする時期を中期として論を進める。