前期

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古墳発生から四世紀末までの古墳時代前期には、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳が作られた。この時期の古墳は丘陵上に自然の地形を利用して作られた。前方後円墳の前方部は幅が狭く低いのが特徴で、二段築成あるいは三段築成と呼ばれる段築をもち、墳丘斜面には葺石が敷きつめられ、円筒埴輪も並べられた。墳丘を区画する施設として周濠が作られる場合もあるが、ほとんどが空濠である。
 内部主体は竪穴式石室で、長大な割竹形木棺が納められた。割竹形木棺にはコウヤマキが使われ、腐植を防ぐため、棺内には水銀朱が塗られ、棺外面は粘土で被覆されている。竪穴式石室内には棺の内外に副葬品が置かれた。
 前期古墳の副葬品として最も一般的に使われたのは鉄刀、鉄鏃、弓などの武器、鉄製農工具、銅鏡、鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)、石釧(いしくしろ)などの碧玉製腕飾(へきぎょくせいうでかざり)類、勾玉(まがたま)、管玉(くだだま)などの玉類である。このうち、もっとも貴重品視されていたのは銅鏡で、他の副葬品のほとんどが棺外に置かれるのに対し、銅鏡は棺内に納められる場合が少なくない。
 前期古墳に副葬された銅鏡の中で、とりわけ注目を集めているのは三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と呼ばれる鏡である。三角縁神獣鏡には中国で作られ、日本に持ち来られたもの(舶載鏡(はくさいきょう))と舶載鏡をまねて日本で作られたもの(〓製鏡(ぼうせいきょう))の二種類があるが、全国各地の前期古墳から出土した文様の異なる各種の三角縁神獣鏡と同じ文様をもった鏡が京都府椿井大塚山古墳で大量に出土している。同じ鋳型を使って作られた鏡は同笵鏡と呼んでいるが、椿井大塚山古墳を中心にして、各地の古墳が同笵鏡によって結びつくわけであり、畿内の大王権への服属あるいは同盟の証として各地の首長に分与されたのが三角縁神獣鏡であり、服属の時期の差によって舶載鏡と〓製鏡の差が生じたものとされている。三角縁神獣鏡は邪馬臺国の女王卑弥呼が魏の国から下賜された銅鏡百面にあたると考えられており、邪馬臺国大和説を支える有力な手がかりともなっている。
 鏡と並んで重要な遺物が、鍬形石、石釧、車輪石などの石製腕飾類である。畿内で特殊な発達をみた儀器(ぎき)で、これも畿内を中心に分布しており、大和政権の政治的進出を示す遺物と見られている。

図2-11 石製腕飾類