推古天皇が豊浦(とゆら)宮で即位した西暦五九三年から元明天皇によって平城京へ都が遷されるまでの約一〇〇年間は飛鳥(あすか)時代と呼ばれている。東国では群集墳や横穴が営々として築かれていたこの時代には、飛鳥を中心とした畿内では朝鮮半島を通じて大陸の進んだ文化が盛んに取り入れられ、古代国家としての体制が着々と作られていた。
飛鳥時代は文字が普及した時代でもある。渡来僧によって紙や墨の製法が伝えられ、六世紀末には大阪府陶邑(すえむら)古窯址群において須恵器製の円面硯(えんめんけん)の製作が始められている。文書による記録以外に金石文や木簡、墨書土器などの文字資料が豊富に残されるようになり、これ以後、我が国は本格的な歴史時代に入ったということができる。