鎌倉街道は、一面、軍事的要請から建設されたものであることは既述の通りであるが、これは鎌倉幕府が御家人を召集したり、地方征伐に出陣するだけではなかった。叛旗をひるがえした武将が鎌倉めざして進軍する道でもあった。ひとたび合戦となると、ときの声、矢たけび、蹄(ひずめ)の音、物具の打ち合う音がとどろき渡り、凄惨な死闘がくり返された。そのたびごとに無辜(むこ)の住民は、家は焼かれ、壮夫は陣夫に連れ出され、家族は恐怖におののかねばならなかった。
戦記物語に載る四つの合戦を次に記す。
図3-15 鎌倉街道上道沿いの古戦場
永岡利一氏「炎と屍の歴史」より