| 3-3表 火葬の年代測定 (放射性炭素測定法による) |
| C-14年代 | |
| 650±80yB.P. | |
| 720±80yB.P. | |
| 730±80yB.P. | |
| 690±75yB.P. | |
| 635±80yB.P. | |
| 525±60yB.P. | |
| 490±70yB.P. | |
| 455±70yB.P. | |
| 470±80yB.P. | |
| (E地点No.21)1950-730=1220 | -80=1140(保延六年) |
| +80=1300(正安二年) | |
| (G地点No.35)1950-455=1495 | -70=1425(応永三十三年) |
| +70=1565(永禄八年) | |
| 〔解説〕 B・Pは西暦一九五〇年よりさかのぼる年代 ±は年代の誤差である 最新の火葬墓と、最古のものとを算出すると右下のごとくである。 | |
この測定によると、最古の火葬墓はE地点二一号である。平安後期の保延(ほうえん)六年から、鎌倉時代後期の正安(しょうあん)二年までの間に営まれたものである。最も新しいG地点三六号は室町時代中期の応永(おうえい)三二年から、戦国時代の永禄(えいろく)八年までの間に営まれたものである。
この年代測定は一六〇年ないし一四〇年の誤差はまぬがれないものとはいえ、太田ケ谷村の誕生した時代を示唆(しさ)するものとして興味深い。
もっとも、火葬墓が戦国時代に終末を遂げたとはいえ、土壙墓はなお引きつづいて営まれたのだから、このお寺山の葬地としての役目は江戸時代中期まで持続していたわけである。