氏康時代の合戦で最も有名なのは、天文一五年(一五四六)四月二〇日の河越夜戦である。これは、古河公方足利晴氏・山内上杉憲政・扇谷上杉朝定ら八〇、〇〇〇の連合軍に対し、氏康は八、〇〇〇の寡兵であたった戦いである。日本三大夜戦の一つといわれ、一〇分の一の軍勢で敵を敗った戦いとして、氏康の武名を高めるとともに、関東における両上杉、古河公方といった旧勢を崩壊させ、武州の豪族のほとんどを北条氏の傘下に服属させて、新興勢力としての北条氏の基礎を堅めた戦いであった。(第四編「第一章に詳記」)
なお氏康は、外交面でも成功を収めている。それは、甲斐の武田信玄、駿河の今川義元との連合を達成したことである。普通、甲相駿三国同盟とよばれる。これによって氏康は後顧の憂いなく、武蔵・房総に自由に兵を動かすことができたのである。
残る敵は上杉輝虎、すなわち謙信であった。その後は、上野方面を主戦場とする謙信との戦いが幾度となく繰り返された。
氏康は軍事面で非凡な才能を発揮するばかりでなく、民政家としての評価も高かった。後北条氏の全盛期を築いたのは彼の時代であった。