天正八年(一五八〇)氏政から氏直へ家督が相続されたが、勝頼との緊張状態がつづいた。そのころ、武田勝頼と上杉景勝とは同盟を結んでいた。
天正一〇年には、織田信長が甲斐へ進出して武田氏を滅亡させた。その信長が本能寺の変で死亡すると、豊臣秀吉の天下統一事業が進み、北条氏としても秀吉と戦うか、その傘下に入るか、二者択一の選択をせまられることになった。結局は対決の道を選び、滅ぼされることになった。
天正一八年(一五九〇)秀吉の大軍に敗れ、氏政・氏照は自殺した。氏直は徳川家康の女婿たるによって、一命を助けられ、高野山に追放された。