1 鶴ケ島に知行地を持つ家臣

254 ~ 256
 「役帳」には次のように記載されている。
  小田原衆
  一 六郷殿
    廿五貫廿四文   江戸廻 六郷大森分(荏原郡)
    丗四貫九百四十文 小机筋 星川夏成共(橘樹郡・都筑郡)
    丗二貫文     同 向星川(橘樹郡・都筑郡)
    三貫四百文    六郷内小花和
    廿貫文      河越筋 臑折(入間郡) 卯(弘治元年)検見辻
     以上百拾五貫三百六拾四文
      此役御牢人御人体ニ付而赦免御申
  小田原衆
  一 御宿隼人佑(みしゆくはやとのすけ)
            入西郡(入間郡) 卯(弘治元年)検地辻
    廿六貫五百丗六文 勝(すぐろ)之内 廣野
     大普請之時半役
  小田原衆
  一 布施弾正左衛門(康朝)
    百七拾七貫五百弐拾四文 中郡 幸手繩
    廿貫文       同 白根之内おはさま分
     (中略)
    此外
    拾五貫三百文  小机 野川地頭方
    八貫文  高麗郡 藤金 卯(弘治元年)検見
    拾九貫四百七拾壱文 河越三十三郷 善応寺分 卯検見
    三貫四百丗五文 入西郡卯検見 大在家 但隼人子ニ被下
     以上 四拾六貫二百六文
      此内
     廿三貫百三文 自当年改而被仰付半役
     合四百三貫文 知行役高辻 但佐貫(上総)在城之間
            彼地普請可被仰付歟 但飛脚
            之出銭者出可申
      都合四百三拾八貫百八十文
       此外 百六貫文豊田(相模)之内為寄子給被下
  玉繩衆知行役
  一 間宮豊前守(康俊)
    三百貫文   久良岐郡 杉田
     此外五拾貫文 鶴岡(鎌倉)へ参
    七拾五貫九百文   同所 壬寅(天文十一年)増
     (中略)
     此外
    廿壱貫五百六拾三文  入西郡 富屋 卯(弘治元年)検地
    買得 三拾貫文  三浦 不入斗 元文珠坊知行
     以上五拾壱貫五百六拾三文
      此内
     弐拾五貫八百文 当年改而被仰付半役
     合五百弐拾五貫八百文 知行役高辻
  都合六百九拾八貫百弐拾弐文
 この役帳に記載された後北条氏の家臣はいかなる武将であろうか。