間宮豊前守(康俊)

257 ~ 257
入西郡富屋(戸宮)の知行人である。玉繩衆であるが、二〇将衆の一人でもあり、相模衆一四家の一家である。後北条氏の重臣である。神奈川御城代を勤めた。
 間宮氏は伊豆国田方郡間宮村に住み、初めは小田原城主大森藤頼に仕えたが、明応(めいおう)三年(一四九四)早雲が小田原城を攻めて大森を追い落し、入城したので、他の部将とともに、早雲に臣従したという。