2 家臣団と軍制・職制

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 戦国大名後北条氏は、領土を占領するごとに、たくさんの支城を設けて、領国支配の貫徹をはかった。そして、特に重要な城には、一族を派遣して城主とした。いざ合戦という場合に備えて、この本城や支城に馳せ参ずる家臣を城別に組分けし、おのおのの城の周辺に所領をもっている家臣を、城別に「衆」として編成した。
 その家臣は、小田原衆三四名以下、地域・職能別に区分され、合計五六〇名である。しかしこのなかには職人衆と社領・寺領もはいっているから、それらを除くと四〇三名となる。更に、非常に小規模な知行を受ける地侍集団を除けば四三六名となる。この他に八王子衆・鉢形衆が加わるべきだが、それらはここには示されていない。
表3-7 後北条氏衆別役高比較表
知行高1000貫文以上500貫文以上100貫文以上50貫文以上10貫文以上10貫文未満計(人)
衆別
小田原衆141685034
御馬廻衆02232145394
玉縄衆11753118
江戸衆33201633681
河越衆11856122
松山衆12173115
伊豆衆026417029
津久井衆1014114057
諸足軽衆001135120
職人衆002213926
他国衆026413328
社領00355013
寺領005511728
御家門方101042017
御家中役之衆00656017
三浦衆115421032
小机衆105616129
小計112013310821573560
『新編埼玉県史』資料編8

 これらすべての知行人が、統一的な貫高によって示されており、上は一、〇〇〇貫以上から、下は一〇貫以下にいたるまで、この貫高を基準として、統一的な軍役がかけられるわけである。しかし、この家臣団も別の編成が存在した。それは、家格・由緒などによる身分階層的な区分である。
 (1)御草創の功臣
(イ)御由緒家 七家 御草創七手御家老衆

(ロ)駿河衆  四家 豆州御討入之砌(みぎり)、駿州より御供の家

(ハ)伊豆衆 二〇家 伊豆御討入以後、一国御平定の砌、最初に御味方に属する家

(ニ)相模衆 一四家 小田原平定の節、最初に御手に属する家

(2)御家門方 箱根殿・小机殿・六郷殿・伊勢備中守殿・同兵庫頭殿・大和兵部大輔(たいふ)殿

(3)三家老衆 松田尾張守・大道寺駿河守・遠山丹波守

(4)五家老 武州河越城代北条綱成等五名

(5)二〇将 駿州泉頭(かしら)城代荒川豊前守等二〇名

(6)御旗本備 四八番衆 梶原備前守以下

(7)御馬廻り衆 一二〇騎

(8)当時浮役寄合衆(※) (数字不明)

合(あわせ)て五五四人

 ※予備隊・遊隊の意味であろう。