刀狩

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これらの一揆の過程で、また一揆の蜂起を予想して、検地と並行して民衆の武装解除ともいうべき刀狩が行われた。天正一六年(一五八八)秀吉はその苦い経験に照らして、有名な「刀狩令」を発令した。それによると、諸国の百姓が、刀・脇差・弓・槍・鉄砲など不要の武器を持つと、年貢を滞納し、一揆を企て、領主に反抗する。その結果成敗され、田畠は不作になり、知行地が駄目になってしまう、というおかしな理屈を展開している。没収した武器は大仏の釘や鎹(かすがい)にするのだから、百姓は死後の世界でも助かるとか、百姓は農具さえ持ち、耕作を専らに励めば子々孫々まで栄えるとか、すべての苛政も領主の慈悲心の発露に他ならぬことを強調している。