目次
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通史編
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第四編 近世
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第二章 徳川氏の検地
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第三節 検地と反抗
兵農分離
275 ~ 275
一方、天正一九年(一五九一)八月には、侍・奉公人が町人や百姓になったり、百姓が田畠を捨てて商売や賃仕事に出ることを禁止した。それはすなわち士・農・商を分離する身分統制令である。
こうして、検地によって田畠の耕作者たる百姓を確定し、その武器を剥奪(はくだつ)して、武士身分と明確に区分する兵農分離の政策が、ぐんぐんと押し進められていったのである。