もう一つの理由は、関東が後進地だということである。畿内とその周辺に比べて生産力が低く、農民の分化も進んでいない。農村では土豪・地侍などが盤踞(ばんきょ)(がんばって動かない)して、依然として家父長制経営を行っており、小百姓たちの彼らに対する依存度が高く、そこへ小農自立の政策を急激に進めることは、却って小農経営の基盤を破壊することになる。そこで小農保護の立場からも、太閤検地を先進地と同じ方針で行うことは避けなければならない。
こうして、当時の軍事的緊張と、生産力の低さのために、関東では戦国期の農村構造が妥協策として温存されたのである。