第四章 寛永期の水帳と名寄帳

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脚折村田畑名寄帳 寛永五年十一月(『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅰ)

武刕(ぶしゆう)入西郡川越之庄広谷村 田畑屋敷水帳 寛永十六年四月(『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅱ)

田方広谷村卯之名寄帳  寛永十六年三月(同右)

畑方広谷村卯之血名寄帳  同     (同右)

 
 これまでは、町内に資料がないため、やむをえず上赤尾村の慶長二年(一五九七)の水帳を中心にして、江戸時代草創期において、当地方の農村の社会構造と農業経営に、太閤検地がどのような影響を与えたかを述べてきた。慶長年代の検地帳がなければ、土地制度の革命的ともいえる変革が分らないからである。ところが、時代も寛永年代に下ると、町内にも部分的ではあるが、資料が現われてくる。一つは脚折村の名寄帳と、今一つは広谷村の名寄帳と水帳とである。先づ脚折村の名寄帳を調べてみよう。