慶安検地条目

293 ~ 294
徳川検地は、天下統一後も、関東入国以来の後進地関東農村に対して、現実的な対応政策をとってきた。それで、耕作権所持者を年貢負担者とし、彼らを構成員とする村落を成立させることは完成しなかった。そこでこの法令は、すでに自立してきた小農民を保護するとともに、血縁分家を独立させ、検地帳に登録して年貢負担者とするようにした。これがいわゆる「小農民自立策」を意図し、促進したのである。
(イ) 検地に際して、上層の有力農民には寛大に、小百姓(下層小農民)には厳しくすることを禁ず。(「検地掟」一五条)

(ロ) 百姓が死んだあとの田畑を、子供が分割して所持していた場合、現実に所持し耕作している子供の名義で分割登録するようにせよ。これまでは、あとつぎ(長男など)一人の名義で登録し、年貢もその名前で納め、他の兄弟は分付(ぶんづけ)といって「何某分何某」と登録され、全面的な所持権を認められなかった。直接耕作者を検地帳に登録することは太閤検地以来の原則であったが、小農民の生産条件が安定していない地域では、そうすると年貢収納が不安定になるため、同族や大家族に貢納の責任を負わせてきたのであった。今、その枠がはずされたことは、五人組や近所組などによって、同族・親類以外の相互扶助組織ができ、小農経営の安定する条件がととのってきたことを示している。その事実を踏まえて、これからは小農中心の農村支配を行っていくという宣言でもあった。(「検地仕様之覚」一五条)