第一節 明暦二年「開」水帳

306 ~ 311
 慶安元年にまで盛んに進められた耕地開発は、それ以後にもなお休むことなくつづけられた。これは貢租を増徴しよけとする領主の意図にそうものであるが、他方では、小百姓が自立して本百姓に上昇するための一つの条件となるものでもあった。慶安元年の川越領総検地のあと、わずか八年しかたたない明暦二年に新開地だけの検地が行われた。それだけ開発が盛行したわけである。その「開」検地帳では、町内三か村で次のように新開発耕地が登録されている(表―20)。
脚折村 五町七反五畝余(内、当発一町四反九畝余)

表4-20 脚折村「開」検地水帳
明暦二年(1656)
No.慶安水帳人名上畑中畑下畑下々畑苗木畑下畑当発下々畑当当合計
反畝 歩町反畝 歩町反畝 歩反畝 歩反畝 歩町反畝 歩町反畝 歩
11長太郎1 9.284.2825.009.015 8.27
222太郎左衛門2 0.062 2.084.084.015 0.18
327惣左衛門1 1.215.129.002 6.03
428助右衛門1 2.226.126.132 5.17
5五右衛門1 7.200.226.282 5.10
635久右衛門2 3.182 3.18
7与左衛門1 4.227.292 2.21
87甚左衛門0.281 6.112.002.242 2.03
914佐右衛門1 0.148.152.042 1.03
1017七郎左衛門4.131.261.149.291 7.22
11佐左衛門1 2.003.142.021 7.16
1220次郎右衛門1 4.083.041 7.12
136新右衛門7.019.271 6.28
1415九右衛門3.001 0.211.121.221 6.25
15次右衛門1 3.221 3.22
1637市之助6.212.004.281 3.19
174四郎右衛門1 3.091 3.09
1836四郎左衛門1 1.240.120.101 2.16
19太兵衛9.103.001 2.10
(富士塚)
2042与次右衛門6.103.271 0.07
2124小左衛門7.262.041 0.00
222高沢(名主)三右衛門1.261.250.224.179.00
23市兵衛1.006.180.148.02
2420次郎左衛門6.216.21
25泉養坊6.196.19
2610総(惣)右衛門2.091.202.136.12
278清左衛門1.062.020.142.166.08
2838成泉院4.141.216.05
29忠左衛門1.191.002.235.12
3031市左衛門5.010.085.09
3153六右衛門3.221.135.05
3234庄左衛門0.104.205.00
3323甚右衛門2.070.102.104.27
34加兵衛3.190.204.09
3557久左衛門4.084.08
36長作4.084.08
3718加右衛門3.180.124.00
3830長兵衛3.273.27
3951善右衛門2.201.053.25
40平左衛門(小井戸)0.253.15
2.20
41所左衛門3.153.15
4247彦右衛門2.061.063.12
43総兵衛2.272.27
4417七郎右衛門2.232.23
4539長右衛門2.212.21
46清右衛門0.241.242.18
47喜左衛門1.281.28
48市右衛門1.201.20
49市郎左衛門1.121.12
50新左衛門1.041.04
5121庄右衛門(高野屋敷)0.120.12
合計1 2.002 5 1.041 3 8.122 5.002 0.181 2 8.165 7 5.20

三ツ木村 五町四反二畝余(内、田二畝二六歩・当発九反七畝余)

表4-21 三ツ木村開検地水帳
明暦二年(1656)
No.慶安水帳人名下々田下畑下々畑苗木畑当発合計屋敷
町反畝 歩町反畝 歩町反畝 歩反畝 歩反畝 歩町反畝 歩反畝 歩畝 歩
139彦右衛門4 1.021 6.045 7.069.18
2勘右衛門6.103 0.167.244 4.20
35兵部0.141 6.002 0.202.203 9.24
412七郎右衛門3.293 0.084.053 8.121.10
540七右衛門1.102 9.267.053 8.11
621九右衛門1 4.061 2.002 6.06
7門三郎2 2.292 2.293 7.00
89次郎右衛門1 9.101 9.10
913長右衛門1 8.241 8.24
10半三郎0.061 7.151 7.21
11清兵衛1 5.260.121 6.083 0.27
1231所左衛門2.001 3.011 5.01
1315孫右衛門1 3.271 3.271 9.02
1433六左衛門0.206.116.001 3.01
15五郎左衛門1 2.211 2.21
16五兵衛1 0.191.101 1.29
1727茂兵衛7.264.011 1.27
181仁左衛門1.151 0.021 1.17
19助九郎2.008.021 0.02
2035次郎左衛門6.241.027.26
21七兵衛7.247.24
227市右衛門0.156.250.067.16
2317久左衛門5.062.107.16
24市左衛門7.097.09
2525加右衛門4.002.286.28
2623佐左衛門0.163.023.016.19
2738長兵衛6.126.12
2820助左衛門5.185.18
29太郎右衛門0.151.083.075.00
3038戸右衛門4.164.16
31長左衛門4.124.12
3213茂右衛門0.153.063.21
3319仁右衛門2.172.17
34仁兵衛1.241.24
35久蔵1.241.24
36佐右衛門0.270.27
37三九郎0.004.10
38村持1 4.021 4.02
2.261 4 9.042 7 8.161 4.029 7.195 4 2.079 6.175.20

高倉村 四町六反九畝余 (内、当発二反九畝余)

表4-22 高倉村開検地水帳
明暦二年(1656)
No.慶安水帳人名中畑下畑下々畑苗木畑当発合計屋敷
町反畝 歩町反畝 歩町反畝 歩反畝 歩反畝 歩反畝 歩反畝 歩畝 歩
1与惣左衛門7.093 3.261.244 2.29
221庄右衛門7.261 2.101 9.212.174 2.14
3治右衛門3.003 0.004.193 7.19
4次右衛門1 2.041 1.105.122 8.26
51九右衛門2 0.134.032 4.166 0.00
615弥左衛門3.052 0.252 4.00
718源左衛門1 7.134.232 2.06
8清左衛門3.151.211 5.102 0.16
917久左衛門1 5.073.291 9.06
106長右衛門1 6.002.241 8.24
1114六右衛門1 2.164.251 7.11
12吉右衛門9.243.233.111 6.28
1310清兵衛1 1.123.022.041 6.18
1430長泉寺1 4.151 4.15
152孫右衛門1 3.130.281 4.11
1620五郎左衛門3.051 0.041 3.09
17久五郎6.016.041 2.05
18善左衛門1 2.011 2.01
1927長左衛門1 0.251 0.252.17
2016惣左衛門3.205.098.29
2136平左衛門5.211.107.012 6.26
226平右衛門3.013.226.23
23与惣右衛門5.185.18
2424七右衛門5.115.11
253彦右衛門0.154.124.27
26仁左衛門1.112.063.17
2712藤左衛門3.153.15
28清右衛門1.261.26
29太郎左衛門1.101.10
30三右衛門1.001.00
317長兵衛0.140.14
32村持1 0.081 0.08
2 9.181 7 8.032 2 2.011 0.082 9.284 6 9.288 6.172.17

 当発というのは過去一年間の開発地のことであるが、脚折村ではわずか一年間に一町四反九畝余の畑を造成している。これは、農民の開拓のエネルギーが、いかに烈しく燃焼したかを物語るものである。
 三ツ木村では屋敷が二筆開発された。三九郎の四畝一〇歩は分家を分出させるためであろうし、七郎右衛門の一畝一〇歩は、既に屋敷を帳付けしてあるので、隠居分家をする用意であろうか。高倉村の長衛門の二畝一七歩は、慶安検地帳では無屋敷だから、屋敷地を登録して本百姓に上昇するのであろう。
 水田の開発は、三ツ木村でわずか二畝二六歩に止まっている。これは先述のようにその開発を阻止する限界があるからである。水田には整備された灌排水の施設が必要である。その施設は一人ひとりの農民がもつている一筆々々の田んぼだけが利用するのではなく、村全体をひっくるめて同一の用排水を使用する。従って灌排水は村中が一つの秩序にのっとって行わなければならない。この秩序の一つとして、その地その地の独特の分水慣行がある。個人の恣意による灌漑は許されない。その上、当地域は武蔵野台地上の乏水地帯である。
大立ち候川や小川も御座なく、溜池これあり候えども、用立ち申さず、天水場にて御座候(寛政三年脚折村「明細書上帳」)

 
天水場にて旱損・水損場にて御座候(宝暦四年高倉村「右同」)

 このような事情によって、水田の開発は明暦以降は行われなくなった。
 苗木畑は植林のための苗木であるから、原野の植林はこの時代から始まったものと考えられる。畑の品等は下々畑で、村内共同あるいは名主持ちの畑が当てられた。樹種については記入していない。