田を多くもっている農民が、直接に経営している土地もあるが、小作人に預けて小作料を取立てている田と比較してみると、直接経営している田のほうが、収量が少なくて損である。それゆえに誰もが小作人に田を預けることになったのである。
しかし小作人にとってみれば、人の田を借りて耕作することは利益が多いわけではない。けれども、その土地に生れ育ちながら田地をもたず、さりとて他に稼ぐ手段もないので、やむなく自分の身体一つで汗や脂(あぶら)をしぼるようにして、骨身に代えて、人に使われている奉公人の倍も努力して耕作に励み、肥料も苦労して手に入れ、小作米を地主に納めたあとの僅かな取り分でやっと生活しているのである。(「粒々辛苦録(※註5)」)
このように、極めて劣悪な条件に耐えてまでも、小作人の地位に甘んじなければならなかった水呑層は、それでもなお年季奉公人を勤めるよりもましであったのである。小作人となることが、年季奉公人よりも地位が上であるような年季奉公人の劣悪な境遇が、それまでの地主手作を可能ならしめたのであるが、その地主手作を縮小あるいは廃止に追いこんだのは、年季奉公人の地位の向上により、小作人化したためであるといいうるであろう。
〔註〕
(1) 葉山禎作『近世前期の農業生産と農民生活』
(2) 地主手作の手余り地を、その家の譜代下人が請作する。
(3) 『日本経済叢書』巻一、
(4) 葉山禎作『同書』
(5) 「粒々辛苦録」『日本農書全集25』
(1) 葉山禎作『近世前期の農業生産と農民生活』
(2) 地主手作の手余り地を、その家の譜代下人が請作する。
(3) 『日本経済叢書』巻一、
(4) 葉山禎作『同書』
(5) 「粒々辛苦録」『日本農書全集25』