取穀覚

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田中家の栽培品種については、嘉永元年(一八四八)と、それから一一年後の安政六年(一八五九)の収獲量の記録を掲載した。その品種は次の通りである。
(イ) 嘉永六年 大麦・小麦・大豆・小豆・稗・粳(うるち)粟・おかぼ・もろこし・胡麻・荏(えごま)・あぶらゑ・餅米・木綿の一三品と繭である。

(ロ) 安政六年 からし・大豆・小豆・大角豆(ささげ)・傾城(けいせい)・胡麻・荏・粟(餅粟・粳(うるち)粟)・もろこし・稗・おかぼ(もちおかぼを合む)・紅花(べにばな)・さつまの一四品種である。

 嘉永期にあって、安政期にないのは、あぶらゑ・木綿・繭であり、安政期に新たに加わったのは、辛子(からし)・大角豆・傾城・紅花・芋・さつまの六品種である。もっとも、これらの品種が販売用に栽培されたものとすれば、市場の状況によって、栽培品種が変更もあり得るのであろう。寛政三年(一七九一)の明細帳には、畑方作物として、大麦・稗・もろこし・菜・大根・藁麦の六品種を挙げているが、これらは皆自給用のもので、「江戸向けならびに近在市場へ売出し申し候品、ござなく候」と報告した一節と符合させたものであろうか。田中家で品種の中に、菜・大根・藁麦の自給必需品目が挙げられていないのは、販売用に栽培されていないからであろう。。
 ここで注目すべきは、紅花・木綿・さつま・繭の四品目である。安政四年(一八五七)の「産物御糺し売上帳」によると、村の換金産物としては、次の二品目を挙げている。そして、「その外産物御座なく候。」と結んでいる。
〈樫(かし)薪〉 約一、六〇〇束で、年産一八、九両から二〇両くらい。一束は二尺八、九寸廻りで、川越城下へ付け出す。(馬の背につけて送り出す)値段は、金一両につき、七八、九束から八三束ぐらいである。
田中家で、下男長吉が毎日のように川越へ通ったのも、この薪を売りに行ったのである。
〈紅花〉 約一二貫目。年産二四両から三〇両ぐらい。金一両につき、四百二、三〇匁から五四〇匁ぐらい。
 上尾の紅花商人が買いに来る。脚折村の上組と下組とで買入値段の相違があり、上組が怒って売却拒否の態度に出たので、名主が調停したことが、名主の日記に出ている。紅花は、村の主要換金作物である薪をしのぐ重要作物である。
〈木綿・さつま・繭〉 この三品は、村の重要な換金作物ではないが、木綿とさつまは自給用として上層農家に栽培されたものであろう。繭は販売用であろう。
 〈茶〉 現在は狭山茶として、この地方の代表的な産物であるが、「茶えん御座なく候」(天保三年「明細帳」)とある通り、当時はまだ栽培されていなかった。
 次に、下新田村・高倉村・三ツ木村・五味ケ谷村の農産物をあげる。
下新田村 大麦・小麦・粟・稗(ひえ)・大豆・小豆・大角豆(ささげ)・菜・大根・牛旁(ごぼう)・多葉粉(たばこ)(文政六年「指出帳」)

高倉村  大麦・小麦・粟・稗・小豆・大角豆・菜・大根(宝暦四年「書上帳」)

三ツ木村 大麦・小麦・粟・稗・岡穂(おかぼ)・大豆・小豆・ほうそう菜・大根・荏(えごま)・菜種・蕎麦以上一二品 他にわら(慶応元年「明細帳」)

五味ケ谷村 大麦・小麦・大豆・小豆・大角豆・粟・黍・蕎麦・荏油・芋・茄子・牛旁・木綿・胡麻・大根(明和四年「明細帳」)

 以上、脚折村以下四か村の農産物については、三ツ木村が一二品種、五味ケ谷村が一五品種を挙げているのが、最も正確に実態を伝えているであろう。
 農書によると、稲・麻・荏(えごま)・稗・小豆・粟・黍(きび)・大豆・大麦・小麦・大根・菜・藁麦の一三種があり、他の一例は米・麦(大・小麦)・藁麦・稗・粟(糯(もち)・粳(うるち))・荏・大根・蕪(かぶ)・大豆・小豆の一〇種類がある。その他に、里芋・ささげ・山芋・牛蒡・胡麻・煙草等が作られている。これらの作物は「普通農産物」と称するもので、自給的な目的で栽培されるから、作物の種類も多種多様である。脚折名主の栽培する作物は、上層農家だけが栽培する特殊な種類である。
 関東地方では、農業生産の地域構成が二つに分けられる。一は商品生産を主とする地域と、二には、自給的性格の強い地域とである。当地方では、幕末に至るも商品生産は紅花だけで、自給的農業を営んでいたわけである。
 甲 嘉永元年(一八四八)申(さる)年取穀覚
  一 大麦 五石三斗一升 但 六斗入 六
                五斗入 二
                四七入 壱
                三斗入 壱
    代金四両弐分 壱両に壱石弐斗位
  一 小麦 七俵     但 四三入 五
                四 入 二
    代金四両弐分位  壱両に六斗五升替
  一 小麦 上下共 六入より弐斗五升
       同上  弐斗五升
   〆五斗 代金凡三分
   七月十九日
  一 大豆(上)弐俵 四壱五合入 二
   七月廿五日
  同    壱俵 両に六四替
   〆弐両弐分弐朱也
  一 小豆(上)弐斗四升 壱かます
    代金弐分      両四八かへ
    同(下) 壱斗
    代金弐朱
  一 おく大豆 壱斗
    代金弐朱
  一 傾城大角豆 三升斗り
    代三百文
   八月廿六日
  一 稗 八斗也 弐俵
    代金壱分也 両に壱石六斗
  一 うるち粟 壱石也
    代金壱分也
   九月二日
  一 高倉おかぶ米 壱石壱斗四升
    代金弐両弐百文 両に五斗六升
  一 もろこし 三斗弐升
    同    壱斗弐升
   〆四斗四升
    代金壱分三朱 両に壱石がへ
   九月二日改
  一 胡麻 壱斗八升
    代弐分也 百文に付、五合五勺位
  一 荏 三斗三升
    代弐分ト三百六十四文 百文に付九合替
  一 もろおかぶ米 弐斗弐升
    代金弐分    両に四斗四升がへ
  一 おかぶ 四斗三升
    代三分ト六百文 両に五斗四升位
  一 白もろ粟
        〆三斗也
    黄もろ粟
    代壱分壱朱也
   十月二日
  一 あぶらゑ 四升五合 伴蔵へ払い
     代五百文
   十月三日
  一 餅米 弐俵ト三斗弐升
    代弐両弐分弐朱 凡そ四斗五升替
   十月八日
  一 千住米 三俵半 四斗三升入
    代金三両弐分也 両に四斗三升がへ
  一 棟上米 拾四俵半
    代金十四両弐分也 同断
  一 木綿 壱貫弐百目
    代八貫文     但百□
    四拾両壱分
      九貫九百六十四文
    為金 四拾壱両三分也
   外に
    まゆ代 凡六両三分位
 乙 安政六年(一八五九)未(ひつじ)年取穀覚
  大麦  六石九斗    代五両壱分 両に壱石弐斗
  小麦  拾弐俵     代壱両三分 両に九斗
      但し四三入
  からし         代七百四文
        四三入
  大豆   四俵     代弐両弐朱ト百五十文 両に弐斗
  小豆   凡四斗    代弐分壱朱ト百文
  大角豆(ささげ) 五升 代凡四百文
  傾城   三升     代凡三百文 百文につき七合四勺
  胡麻   弐斗九升三合 代三貫九百六十四文
  同    壱斗七升  代弐貫弐百九十三文 同七合四勺相場
  荏    四斗四升   代四貫三百拾弐文 百文につき壱升弐勺がへ
  餅粟   六斗     代金弐分     両に壱石弐斗替
  粳(うるち)粟 壱石  代三分壱朱ト百五十文 同断替
  もろこし 五斗五升   代壱分三朱ト百四文 右同断替
  稗    六斗     代壱分ト弐百文 弐(ママ)石五斗
  そば   弐斗     代壱分
  おかぶ 壱石四斗三升  代金弐両弐分三朱 両に五斗弐升
  もちおかぶ 籾九斗   代金凡壱両
  六月廿八日
  紅花          金三両ト四百五文
  もち米 壱石四斗九升  金三両弐分弐朱ト百文 両に四斗五升位
  外に下米 壱斗五升
  千住米 十弐俵     代金凡十弐両
  いも さつま この二品除く
   〆代金四拾両壱分
   芋の控え
    居宅の裏
    東側 南より壱番
     一 早稲いも
     一 せちいも
     一 八つ頭
     一 粟いも
   同所西側南より壱番
     一 早稲いも
     一 早稲いも
   上蔵裏壱ヶ所
     一 粟いも