小作料

350 ~ 351
田中家の小作料収入は「田畑入揚覚」に詳記されているが、江戸時代後期の小作料を一般的にいえば、収穫高のうち、年貢三七パーセント、地主取分二八パーセントで、合せて六五パーセントとなり、残る三五パーセントが小作人の手取りになるといわれている(※註6)。当町内の場合、明細帳によると表―34のようである。
表4-34 収穫高と小作料と貢租
石盛収穫高(一反につき)小作料(一反につき)貢柤(一反につき)
上田籾1石~1石6斗米5斗~6斗5升5斗6升
中田9斗~1石5斗5斗~6斗5斗
下田7斗~1石2斗4斗~5斗4斗3升4合
下々田5斗~8斗3斗~4斗3斗6升5合
上畑麦5斗~1石銭800文~1貫文永125文
中畑4斗~1石600文~900文115文
下畑3斗~1石500文~700文94文
下々畑2斗~1石300文~500文59文
文政三年(1829)天保三年(1832)天保三年

 この表によって、中田の収穫高・小作料の最高の数値を計算すると、その比率は地主取分四〇パーセント、貢租三三パーセント、小作取分二七パーセントとなり、地主取分は一般より一二パーセントも多く、小作人は八パーセントも低い取分となる。最低の場合、小作料と貢租を合せて一石となり、収穫高九斗では一斗の不足となる。実際には、こういう事はあり得るはずはなく、反当九斗の減収の場合には貢租も小作料も共に減少するのである。
 田中家の「田畑入揚覚(※註7)」のうち反別の判明する水田だけを摘記すると表―35となる。
表4-35 田中家の小作料と地主作徳
小字等級地積取穀地主作徳小作取分地主作徳率小作取分率
神鳴下々田一反〇畝〇二歩八斗〇升〇合三斗五升〇合四斗五升〇合四四%五六%
〓花中田八・〇四 八・二・〇 六・〇・〇 二・二・〇 七三%三七%
東谷下々田五・二四 五・五・〇 二・三・〇 三・二・〇 三二%五八%
宮田上田一・〇・一七 九・二・八 一・六・八 七・六・〇 一八%八二%
和田橋下田五・〇九 五・〇・〇 三・五・〇 一・五・〇 七〇%三〇%
石田〇・一〇 五・四・〇 四・五・六 八・四 八四%一六%
神鳴一石二・七・〇 七・七・〇 五・〇・〇 六一%三九%
二反田一・三・五・〇 八・〇・〇 四・九・〇 五四%三六%
宮田五・七・〇 四・〇・〇 一・七・〇 七〇%三〇%

 田中家の小作料入揚げ(入上げ)は、簡単に表面の数字だけでは、その内容を知ることはできない。高率の八二パーセント、五八パーセント、五六パーセントの小作料があると思えば、わずか一八パーセントしか納めていない者がいる。これは、従来の年貢その他の勘定関係が内在していると思われるので、こういう数字となったのであろう。
 小作取分は、全国平均の三五パーセント前後の数字が純粋に小作人の手取りとみるべきである。