1 石高

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 貢租の大部分は土地に課せられた。その基礎となるものが石高で、地祖改正以後の地価にあたる。石高を定めるのには、先ず検地をする。そして、田・畑・屋敷を一筆ごとに測量して、その面積を出す。次にその耕地の地味・水利等を調べて上・中・下・下々の四等級に分類する。そのうち上田について三、四か所の坪刈(一坪の稲を刈取る)を行う。平均して一坪に籾一升あれば、一反に三石となる。これを五合摺(ずり)(籾一升は米五合が原則)にすると玄米一石五斗となる。これを石盛一五とする。この一五が石盛である。上田以下は二つ下りで、一三・一一・九となるが、必らずしもこれによらないで、脚折村の場合は、上田一〇・中田九・下田七・下々田六の石盛となっている。当町内は畑方農村であり、水田は苗代を作らない直播(じきまき)をする蒔田であるから、生産力がそれだけ低かったせいであろう。
 畑の場合は、上畑を下田相当にして、二つ下りが原則だが、脚折村においては、上畑七・中畑六・下畑四・下々畑三となっている。屋敷は普通は上畑並みに石盛十二であるが、この村では上田並みの一〇である。
 この石盛を各反別に乗じて得られた量が「石高」である。単に「高」ともいい、また「高辻」ともいう。これは検地によって定められた一定の土地から生産されるすべての米を換算した公定収穫高で、いいかえればその土地の納税負担力である。
 個別百姓の持高は、当人の保有する田畑野の反別に石盛を乗じて合計したものである。表―36の名主家の石高を参照されたい。
 村高は一村ごとに通計したものである。町内の各村の村高は次のようである。
  石斗升合勺
町屋村一七二九四八
上新田村一四九八六〇
中新田村一一二一一〇
下新田村一四一五九〇
高倉村二二九四二五
脚折村四八〇四四六
三ツ木村三四〇九六七
太田ケ谷村六三七四四〇
藤金村三二六二九〇
上広谷村二八五〇九〇
五味ケ谷村三三一三七二九
 町 歩  石斗升合
高倉新田反高五八〇六(七一二七〇)
三角原新田反高一〇〇九( 六五四〇)
脚折新田反高二四〇六(三〇八七八)
下新田村新田反高〇〇( 八四四九)
三ツ木新田反高〇三
大塚野新田反高四八〇〇(一七五五五)
藤金新田反高三〇〇〇(二九一八〇)
(年貢割付・年貢皆済による)

 〔註〕 反高 新田は地味粗悪のため、反別だけを計って低率の租税を課した。