農民は米と貨幣の他にも、労働力そのものを領主に納めねばならなかった。これを〝役〟という。代表的なものに、五街道の宿駅に人馬を常備するために、近郷から人馬を徴収した助郷役がある。江戸初期の領主は、領内・知行所内の農民の労働力を相当に使っていた。時代を遡るほど農民労働力の徴収は厳しくまた体系的であった。殊に陣夫役は戦国時代から江戸初期にかけての領主階級の軍事力の底辺として重要な役割をもっていた。
しかし、陣夫役を含めてのいろいろの役は時代の経過につれて、しだいに米納・金納されるようになった。それを夫米・夫金という。