田畑の年貢は米で上納するのが原則であったが、米の代りに貨幣で納付することを石代納という。当村の場合、米と永(えい)との換算率は御張紙値段よりも三割高く支払うことになっていた。御張紙値段とは、幕府が旗本・御家人の扶持米(ふちまい)を支給するため春(二月)・夏(五月)・秋(十月)の三季に分けて、米・金の換算率を江戸城内の中の口に、張紙で掲示した値段のことである。
永とは永楽銭のことで、永楽通宝という明(みん)の銅銭である。通用は禁止されていたが、貢租や物価表示の基準になっていた。永一貫文が鐚(びた)四貫文が公定比率だが、幕末には鐚は六貫文以下に下落していた。