近世の村は一種の自治組織であったから、一村の諸経費は村民自らが負担しなければならなかった。村役人が領主の命令で五人組帳や御用留などの帳簿を作るときでも、紙代や墨代を領主や代官所がくれるわけではない。名主に払う給料も村の農民が負担したことは高倉村の場合に述べた通りである。
このような費用を〝村入用〟といい、村入用を記した帳面を「村入用帳」という。
この村入用は、どんな仕事に使われたであろうか。脚折村と五味ケ谷村の入用帳に記録された項目を要約すると次のようである。(『鶴ケ島町史』近世資料編Ⅳを参照)
村民のための固有事務
猪・鹿の防禦、道橋普請、御免勧化(ごめんかんげ)、盲目女・座頭宿泊代、名主給(高倉のみ)
筆・墨・紙・ローソク代
公簿作製のため
旅費
宗門人別帳提出、年貢関係の書類提出(初納め、夏成、秋成、皆済目録)のため江戸出府費用
食料
村役人昼食代、四季勘定取立て飯料
公役諸掛り
年貢取立て入用、高札修繕、飛脚賃、定使給、御鷹霞(かすみ)(網)与合(くみあい)助金、野廻り衆年始入用、餌差(えさし)御泊り入用、御中間(ちゅうげん)増給の村負担、等。幕末になると、寄場入用・寄場御改革入用等の警察事務に要する負担が重くのしかかってくる。
これらの支出を見ると、地方自治体としての固有事務すなわち住民のための公共事業に対する費用は、ごくわずかであり、猪・鹿の害獣が農作物を荒さないための費用や、道・橋を普請するための費用など、直接に住民の生活にかかわる支出にとどまっている。大部分は年貢その他を納入するために費やした経費、および、そのために帳簿を作成するための経費である。
この経費支出の性格をみると、村は村自体として何ら計画的な仕事をしていないことが分る。これは当時の村の性格を知る上に極めて重要なことである。村の「自治」といわれるが、少なくともそれは財政的な裏付けが必要なことはいうまでもない。しかしその裏付けが何もないということである。このことから、当時の村は村民のために、村民の組織する村ではなく、支配機構の末端すなわち領主の出先機関に位置するにすぎないことが、この財政面に明白に現われている。
今日の町役場は、次のような課局を設けて住民の福祉に貢献している。対比されたい。
福祉、環境衛生、経済、建設、都市計画、保育所、老人福祉センター、学校教育、社会教育、公民館、図書館、学校給食センター、等。また広域行政として、衛生組合、水道企業団、下水道組合、環境保全組合、消防組合、広域静苑組合、等。