村の政治の最末端の行政単位は五人組である。つまり、村―組―五人組となるのが普通である。五人組は領主が村の中につくらせた治安・連帯組織で、幕領の場合では寛永から承応の間(一六二四―五四)に制度が完成した。名の如く、近隣五戸が一つの組をつくり、浪人の取締り、耶蘇(やそ)教禁止令の徹底、貢納を確保する上で大いに利用された。三代将軍家光は、寛永一四年に左のような悪党取締りに関する法令を出した。
一 この前より仰せつけられ候五人組、いよいよ念を入れ、相改むべき事
一 在々所々、悪党これなきように、郷切りに申し合せ、常々これを改むべし。もし不届なるものこれあらば、穿鑿(せんさく)の上、五人組は申すに及ばず、その品により一郷の者曲事(くせごと)たるべき事
一 不審なるものに宿かすべからず、自然(じねん)知らずして貸し、怪しきことあらば、たとえ親類・縁者(えんじや)たりというとも、早々その所の庄屋(名主)・五人組まで有様(ありよう)に申し届くべき事(以下略)(『徳川禁令考』二七八〇号)
初期にはキリスト教を弾圧したり、浪人の取締りを強化したりする治安警察的な機能の発揮を主要目的としたが、それらの目的を一応達成した後期になると、領主側は貢納確保に重点をおくようになった。一方民間側では、この組織を利用して互助共済的な機能を果たすようになった。
次に、天保一三年(一八四二)の脚折村の五人組帳を抄記する。
向組 組合
太左衛門(田中)
源助(同)
熊五郎(平野)
安左衛門(田中)
甚兵衛(同)
(以下略)
出口組 文右衛門(高沢)
仁右衛門(同)
儀右衛門(同)
与兵衛(同)
金右衛門(同)
〆五人
(以下略)
〔備考〕
『近世史料編』Ⅲ一三八―一八六ページ参照のこと
五人組としての責務は、
一 婚姻・養子縁組・相続・遺言・廃嫡に立会うこと
二 土地の売買・質入証書に連印すること
三 親が死亡し、相続人幼少のときは、後見または財産管理に立会うこと
四 キリシタン関係の者は隠しておかないこと
五 欠落人のないように注意する、もしあれば組中で尋ね出すこと
六 旅行や請願・出訴の場合には通知すること
七 組合の者の品行を監督し、犯罪者が出れば連帯責任を負うこと。それで、組中に徒(いたず)ら者や悪党が居れば、早速申し出ること
八 組中に病人などがあって、耕作ができかねる時は、お互いに助け合って、年貢その他の不納のないようにすること
九 もし年貢未進者があれば、組中で弁済すること