天保三年(一八三二)五月に、従来の田安領が天領となった。新しく代官となった伊奈半左衛門から、百姓の心得として一三か条からなる申渡しがあった。それを仰せ聞かされた惣百姓は、一同承伏(承知して従う)して畏(かしこ)み奉り、もし御趣意にそむく者があれば、どんな御取斗(はから)いを受けても、それを非分(ひどいことをする)とは申しません。そのため御受け印を差上げます。という請書を名主に差出した。その百姓心得一三か条は、
(一) 五人組帳前書を小前へよく読み聞かせよ。
(二) 田畑を荒すな。手余地(てあまりち)があれば訴え出よ。
(三) 年貢を期日までに納めよ。
(四) 公事出入(くじでいり)は村方困窮のもとだから、村役人は意見を加えて融和につとめよ。
(五) 公儀の御普請(ふしん)でも自普請でも小破のうちに手入れして、永持ちするようにせよ。
(六) 村入用は節約につとめ、割合せ帳面に小前の印形をとり、役所へ差出して改めを受けよ。
(七) 代官の手附(てつけ)、手代(てだい)が廻村の節は、余計(よけい)の人馬を出すな。泊り場所も質素にして料理も有合せの一汁一菜でよい。贈物をしてはならない。
(八) 公儀の御用はもちろん、村用でも、村役人の申しつけのように勤めよ。
(九) 聟娘養子は村役人と相談の上、きめよ。
(一〇) 婚礼のとき、平百姓は絹(きぬ)・縮緬の類は襟(えり)・帯等にも用いてはならぬ。脇差(わきざし)等を身につけるな。
(一一) 婚礼の席へ押しかけて、自分と夫婦約束をした男(女)だと言い張って、縁談の障(さわ)りになるようなことをするな。
(一二) 聟娘養子でも、他所へ縁談があれば、よく相談して、御役所へ届け出よ。
(一三) 年貢は遅怠なく納めよ。もし日限に間に合わねば曲事に申しつける。
この申渡しは、五人組帳前書とちがって、幕末の荒廃した農村社会の状況に、現実に対応するための百姓心得である。このことは、逆にいえば、これらの項目は実際には守られていないことを示すものであろう。この点でこの申渡しは興味深いものがある。