江戸時代の農村は、枝も鳴らさぬような静けさのなかで、おだやかな生活がつづいていた。「すべてがさつ(荒っぽい)相止め、御定法ならびに村定め相守り、百姓仲間一同睦(むつま)じく、御役所様を重んじ奉り、お願いがまし儀は申すに及ばず、何事にも頭取・惣代等にまかり出で申すまじく、すべて出入・公事(くじ)これなく、村中静謐(せいひつ)に相治まり候ように仕るべく候」(高倉文書)。このように一見平和に満ちた農村も、幕末、幕府の衰退とともに、幕府・領主の御威光を背景にした、名主・組頭体制による村の秩序もしだいに崩れてきた。幕府崩壊の直接の原因は、薩長の雄藩によることはいうまでもないが、幕府の足もとのこの関東農村でも、その土台崩しがすでに始まっていたのである。
今、当町内の記録に残る事件だけを拾ってみても次のようである。